インドネシア大虐殺、その1

 人権週間でもあり今日も人権関係の話題です。被害者が膨大な割にあまり知られていないインドネシア大虐殺の話をします。

 1965年9月30日にインドネシアのスカルノ大統領(今の人にはデヴィ夫人の旦那と言ったほうが通じやすいか?)の親衛隊が陸軍将官6名を殺害する事件がおきました。これはスカルノ政権の転覆を狙った国軍を廃するとの大義名分で行われましたが、当のスカルノ大統領がこの行動を事前に知っていたかは今も謎のままです。さて、この軍事行動に対して後に第二代大統領となるスハルト陸軍少将が反撃しこれを撃退、インドネシアの治安は一旦は落ち着きました。陸軍将校を殺害した親衛隊は共産党の影響を受けていたと見られていますが、一部の暴発だったのかインドネシア共産党の計画的な陰謀だったのかも未だに分かっていません。しかし、国軍は共産党の陰謀であると考え、虐殺を実施していきます。

 この9.30事件に引き続く虐殺では50万〜300万人の人が殺害されたと伝えられます。この虐殺事件で悪質なのは、インドネシア国軍はほとんど直接的には手を下していないことです。民間で共産党関係者と疑われる者が殺される様に誘導したのです。この一連の殺人に対しては罪に問われる事はなく、地域の権力者に気に入られていない人や、共産党の会合に少し顔を出した人間なども含めてロクな証拠もない人々が隣近所の人らに次々に殺されていきました。この殺人に協力しないものも共産党員の嫌疑がかけられます。インドネシア国軍はあくまでも民衆が自発的に悪い共産主義者を懲らしめたとしています。保守的な国軍が共産主義者を気に入らなかったのは当然ですし、政権に参与していたインドネシア共産党には民衆を武装化させる計画もあり政府でも検討されていたので、国軍としては先手を打ったのだとも言えます。しかし、実際に殺された大半の人は9.30事件に関しては無実の罪で殺されたことになりますし、なによりもこの虐殺で国軍に逆らうと命が危ないとの認識が強まり社会的に様々な自由が制限されて行くことになるのです。

(つづく)

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