延命処置
もう手を尽くしても回復の見込みが無い患者様に対して本人や家族の希望に基づき積極的な加療を中止する場合があります。家族の入院に際して急変時の延命処置の是非を聞かれた事がある人も多いかと思います。今日はその意思決定はなるべく本人がよく考えて行うべきだという話をします。
先日、神経難病の患者様が安楽死を騙る営利殺人の被害に遭っていましたが、こうした事件も延命処置に対する誤解につけ込んだ卑劣な犯罪と言えます。人工呼吸器を望まない患者様に麻薬などの処方で苦しまないようにする事は現時点でも合法です。こうした問題に悩まれる方はまず主治医に相談して下さい。もちろん意志の撤回・変更はいつでも可能です。安易に安楽死を望む方は恐怖心からそう望む方も多いです。延命するかどうかは冷静に判断するべき話ですので、まずは怪しい殺人請負業者ではなく主治医に相談して説明を受けるべきなのです。
一方、末期癌などの場合の一般的な延命処置については、終末期に心肺蘇生を試みるかとか人工呼吸器を使うかというような話を思い浮かべるかと思います。こうした場合は、実のところ延命自体がしようにも不可能なのです。家族らがどうしてもと言えばやるだけやりますが、延命できない上に肋骨が折れ喉が切開される状況に追いやるのは患者様が可哀想でもあり、どちらかと言うと家族に延命処置が無駄である事の説明することが医療者の役目となります。
また他にも、延命処置は広義には病気や加齢から起きる緩徐な病状の進行時にどのように患者様をケアするのかという問題も含まれます。
新型コロナウイルスの流行に伴い、クラスターが生じ機能が破綻した老人病院から私の勤務する病院にも転院してくる患者様がいます。その中には、個人情報保護法や医師の守秘義務に抵触しないようにボカシますが、認知症の進行で反応が乏しくなり経口摂取も出来ず全身の関節が拘縮し体重も20kg代まで落ちて、中心静脈栄養(丈夫な太い静脈に管を入れて栄養を投与する方法)で何年も生きて来た患者様もいます。
認知機能障害が悪化し自分に何が起きたのか理解出来なくても、痛いとか怖いとか不安である事は分かる場合が多いものです。関節が固まって動けなくなり、筋力も落ちて、意思の疎通も状況の理解も困難な状態で生きてきた患者様の気持ちを想像すると悲しいものがあります。もちろんこの状況はご家族様の希望によるものであり、部外者が口を挟む事は出来ません。
こうした家族の希望は、一分一秒でも長く生きていて欲しい家族の切なる思いなのかも知れませんし、家族が困窮しており患者様の年金だけが生命線である場合もあるでしょうし、医療者側の説明不足による場合もあるでしょうし、家族に恨まれた患者様への報復行為の場合もあるでしょう。こうした決定が道義的に正しいのかどうかは一概には言えません。
ただ、健康なうちに家族には自分がそうなった時にどうして欲しいのかは伝えておいた方が無難です。延命処置をするにしてもしないにしても、それを伝える事で、自分の意志が通せるだけでなく、家族に重い決断を強いるのを避けさせその負担を軽減させる事が出来ます。もちろん、物理的医学的倫理的に無理な場合もありますが、死生観に伴う決定は基本的には本人の物なのです。自分に十全な思考力がある内に一度考えておいた方が良いです。
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