奄美群島

 昭和28年(1953年)の12月25日、米軍の占領下にあった奄美群島は日本に返還されました。今日は復帰から67年目の記念日です。

 第二次世界大戦後、奄美や沖縄を含む南西諸島の大半が米軍の占領下に置かれました。米軍はこれらを奄美、沖縄、宮古、八重山の群島に分け、知事と議会を住民の投票で選ばせましたが、奄美で日本復帰派がその大半を占めると、それを嫌った米軍が米軍傀儡の琉球中央政府による支配を推進し奄美群島政府は解体されます。

 またこの頃、日本本土という市場を失った奄美の経済状態は悪化しており、沖縄の戦後復興の為の労働力として多くの奄美人が沖縄へ渡っていました。

 しかし、昭和28年に奄美群島が本土復帰するや、沖縄在住の奄美人達は外国人として公職を追放され、多くの財産が没収されるなど、差別的な扱いを受けるようになります。これは奄美の本土復帰派に共産主義者が多かったので、反共の米軍が奄美出身者を差別するように仕向けた側面もありますが、地元マスコミなどの知識陣も含む大半の沖縄人がこのレイシズム運動に加担し続け、昭和47年(1972年)の沖縄の日本返還まで行政上の差別は続きました。民間でのヘイト行為はその後も続きますが、徐々に沈静化していき少なくとも地元マスコミが奄美人差別を煽るような事は今ではもうありません。

 こうした歴史もあり高齢者を中心に沖縄に恨みを抱く奄美人はまだいます。また、沖縄側にも一部には奄美差別が残っており、気に入らない人の祖先に奄美出身者がいたらそれ自体が悪であるかのように言う人もいます。

 とは言え若い世代ではもうほとんどわだかまりも無いようで、この問題も過去のものになりつつあります。しかし、レイシズムは油断すればいつどこにでも現れうるものだという身近な実例として忘れてはいけない話だとも思います。

 本土復帰や主権の回復の為に闘ってくれた奄美の先人達の苦労に感謝します。今日は不飲酒戒を破って豊年節を聞きながら黒糖焼酎で奄美の為に乾杯!

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