全会一致の恐怖
全会一致の幻想とか全会一致のパラドックスという言葉があります。何らかの議決で全会一致となる場合は何らかのバイアスや圧力がかかっている恐れが強いというものです。独裁国の選挙がほぼ100%の得票率を取ったりするような状況です。
世の中、どんなに当然だと思うようなことにも必ず反対意見は出るものですから、すんなりと全会一致で決まった決定には何か重大な欠陥がある疑いが持たれるのです。
しかし、これは全会一致を避けるためにヘイトやデマなどのとんでもない意見を放置しろと言っているのではありません。多数決の前に行われる議論は多数派工作という意味以外に、それぞれの案をすり合わせて妥協する目的もありますので、絶対に排するべきトンデモ論には断固たる対応をするべきです。
デマやヘイトなどの陰謀論の主張者は、自分たちが奉じる考えと違うものは全て敵とみなす傾向が強く、過激な集団は脅迫や恫喝や暴力を使い反対意見を封じていきます。そんな人達には立ち向かうべきなのですが、実際に抵抗出来る人は少数です。脅されなくても、強い力を持つ人間との衝突や揉め事を避けるために、多数決の際に不本意な賛成や反対を行ったことが無い人の方が珍しいでしょう。デマやヘイトを扇動する集団に対して、どうせ多数の支持を集められる訳が無いと慢心して彼らを放置すれば恐ろしい結果が生じるのです。
また、デマやヘイトで無くても、自分たちの絶対的な正義を信じて疑わない社会活動家も社会の多様性を奪い同化させようとする傾向が強いものです。社会に変革をもたらそうとする活動家は自己の内にその理想像ができあがっており、それ自体は別に構わないのですが、理想ではない現実世界においても一切の妥協を許さないとか、妥協案を考える仲間を日和見的だとかと言って粛清するような集団は危険です。
多様な意見がある集団が何か一つの決定をしなければいけない時に、ある意見が他の全ての意見を封じ込めるのがいいのか折衷案を作り上げるのがいいのかは状況に応じて違うでしょうし、議論する時間が無い緊急事態においては責任者の意見で物事が決まる事もあります。ただ、そのいずれの場合でも反対意見を表明する権利が奪われるようなことがあってはなりません。
また、意図せずに全会一致やそれに近い状態に遭遇したら、何か自分の所属する集団が偏見や誤解をもっていないか念の為にチェックする用心深さも必要です。
さまざまなデマが吹き荒れる現代、小生も気をつけていきたいものです。
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