永劫回帰と法蔵菩薩
ニーチェの説いた永劫回帰という考え方は、語弊を恐れずまとめると、物質の組み合わせの変化が無限に行われるのがこの世界であるならば、遥か過去にはいま自分が経験しているものと全く同じ事があり、はるか未来にもまた何度でも同じ事が繰り返されるだろうとするものです。
この話が本当なのかどうかはともかくとして、この考え方が正しいとすれば自分が経験している事だけでなく、多くの想像できる出来事もまたはるかな過去や未来に起きたとも言えます。こう考えると時間はあまり意味を持たなくなります。物質の量が有限であるとすれば、その物質の組み合わせも有限でありその中で起きうる事は何度でも起きるので、過去も未来も差がなくなるからです。
というわけで、歴史学的にこの地球上には絶対に存在しなかったと断言できる法蔵菩薩も、永劫回帰的視点ではむしろ存在しなかった方がおかしい事になります。世界の全てを救おうとして凄い努力をした法蔵という名の菩薩はきっといたはずです。南無阿弥陀仏。
まあ、永劫回帰が真でも偽でも、観測できる範囲だけでも宇宙は広く、その外はどうなっているか分かりませんが存在はするでしょう。きっと色々と面白いことがあるに違いありません。
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