生聞
南伝の相応部経典に生聞という話があります。生聞はあるバラモンの名前です。今日は生聞の話をしたいと思います。
生聞がお釈迦様に、この世の一切は有かと問うとお釈迦様はそれは極端な見解だとおっしゃいました。続いて生聞は、では一切は無なのかと問いますと、お釈迦様はそれも極端な見解だと諭し、有無の二つの極端を離れた中によって法を説くと言って縁起の法をお話しになりました。これが生聞のあらましとなります。なお、相応部経典には生聞以外にも似たような話があります。
これらの話は、全てのものが存在しているというのも虚無であるというもの極端であり、極端から離れた中道がよいとしたもので、後に大乗仏教を生み出す龍樹菩薩にもこの考えが強く影響を与えました。そして、お釈迦様の言う中道とは縁起の法のこととなります。
縁起の法とは根本的な煩悩である無明(無知)を原因として苦が生まれ、無明を滅することによって苦が消えると言う仏教の基本的思想で、無明から苦までを十二の要素に分けて説明する十二支縁起が有名です。煩悩も苦も存在しますが、それは消し去る事ができるのですから、固定した有でも固定した無でもありません。
龍樹菩薩の代表作である中論に説かれる八不も中道たる縁起の法の論理的解釈といえ、初期仏教のこうした思想が大乗仏教の空に発展していったのです。
コメント
コメントを投稿