カマラ・ハリス氏とレイシズム

 カマラ・ハリス氏は黒人女性として初めてアメリカ合衆国の副大統領になる予定の人物です。

 本日のニュースによると、彼女に対して人種差別あるいは女性差別的な表現のあったFacebookの書き込みが運営より削除されました。この件に対してネット上では表現の自由を危惧する声も一部に見られました。いつものことです。近年、自由主義諸国内で声高に表現の自由を主張する意見は少なからずレイシズムやヘイトの発言を許容せよとする人によるものです。

 ハリス氏の主義主張は概ね左翼的なものであり、これが気に入らない人はアメリカの人口のおよそ半数はいるはずです。文句をつけたい人も多いでしょうが、人種差別や女性差別のワードを盛り込まずにおかしいと思うところに文句を言えば良いのです。

 保守層が気にする今後のハリス氏や民主党政権への不安の一部を文章化してみると、「富裕層への増税に関しては、一定の理解はできるもののコロナ禍の拡大するアメリカで今やるのは経済への打撃が深刻になる恐れがあり得策とは思えません。また、彼女の判事時代は有罪判決の割合が多かったのに大麻関連の犯罪についての判決は甘かったのも司法判断に個人的なバイアスの影響が強かったのではないかという懸念が持たれます。」などになるかと思い一考の価値はあります。こうした意見に人種差別主義者が人種差別的な言葉を加えてしまうと、元の意見にも人種差別的でない保守層にも被害が及びます。差別主義者には考えを変えていただく必要がありますが、まず言動から変えてもらわないと彼ら自身の利益にもなりません。

 これは相手がトランプ大統領でも同じ事です。彼の風刺画はかなりえげつない内容の物が多いですが、同じような風刺画をハリス氏で描けばヘイトと判断されるレベルの物も目立ち公平性に欠けるのは間違いありません。その辺はSNS側のバイアスといえます。そうした不正をただすのは対立者へのヘイト発言ではなく、SNS運営への苦情です。

 大体のヘイトやレイシズム発言をする人は怒っています。自分が正しいと思っているから他人を攻撃するわけです。悪人を罰するのにいかなる表現も自由に認められると思う人は、世間的に少なくは無いようです。日本でも某政治家が交通事故にあった時に、実名を出しているSNSNユーザーがその政治家を心配せずに「ざまあみろ」だの「死ななかったのか」だのと書いていたのを見た時は驚きました。別に悪いことだとは思っていないようです。彼らの主義主張には合わない悪い政治家など怪我をしても死んでも良いとする非人間的な感情の吹き溜まりを見ました。怒りは容易に人の判断を狂わせます。自分が怒っているなと自覚できるときは、まず落ちついて言動に細心の注意を払うようにした方が無難です。怒りは最も恐ろしい煩悩です。

コメント

このブログの人気の投稿

妙好人、浅原才市の詩

現代中国の仏教

懐中名号