無慚

 部派仏教では人の心やこの世の事象を細分化し定義づける作業に熱心であり、人の心に伴っている作用(心所)は実に46種類にも分類されています。倶舎論として知られるこの考え方は大乗仏教にも影響を及ぼしています。慚愧の熟語で有名な慚と愧もこの分類の中の善なる心にともなう作用の分類である大善地法の一つです。表題の無慚は慚の心が無いという悪を示す言葉になります。

 大善地法は、信、勤、捨、慚、愧、無貪、無瞋、不害、軽安、不放逸の10個です。このうち慚と愧は二通りの解釈があり、一つ目は他者の徳に対する恭敬が慚で自己の罪に対する畏怖が愧となります。もうひとつの解釈では自己を省みてその過失を恥じるのが慚で、他者を観察して自分の過失を恥じるのが愧となります。なので無慚とは他者の徳を軽んじたり、自分の悪い面を恥じることが無い状態となります。無慚と無愧は大不善地法と呼ばれ46種類の分類で独立した2つと数えられます。

 字が違いますが最近流行りの漫画のキャラクターに無惨と言う名の鬼がおり、他者を敬ったり自らの行いを反省しているようには見えないので無慚でもあるのでしょう。

 他の大善地法を説明しておくと、信は仏教の基本である四諦八正道と仏法僧の三宝と縁起の法へ確信で、勤は善行に勤めることで、捨は偏りを捨てた心の平静で、慚愧は前述の通り、無貪は貪らないこと、無瞋は怒らないこと、不害は非暴力、軽安は環境に応じて事を行える巧みさで、不放逸は善に専心してはげむことです。

 倶舎論にある森羅万象を細分化した定義やその因果関係の分析は、少なくとも現代科学の観点では明らかな間違いも含まれますが、初期仏教からの流れで修行者たちがどの様に心を観察して瞑想してきたのかを知る意義は深く有用です。また、こうした発想の行き詰まりが空の思想や大乗仏教を熟成していく歴史もありますが、日本仏教では今でも倶舎論は重視されておりお坊さんたちは慚愧の心に富んでいるのだと思います。

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