キリスト教の聖霊と大乗仏教の如来蔵思想

 キリスト教の聖霊についてはご存知の方も多いと思います。誤用が一般的化している日本語の三位一体も元々はキリスト教で父なる神と子たるイエス・キリストと聖霊は一体であるとする考えです。このうち神とイエスはイメージしやすいですが聖霊は一般的日本人には比較的馴染みが薄いかと思いますので少し解説します。

 キリスト教にもバリエーションがありますがカトリックなどの主な宗派の解釈では、聖霊とはイエスが死んで後に復活し昇天した時に集まった信者に神が降したものです。以後、聖霊は洗礼を受け信者となった者にのみ降るとされます。つまり、キリスト教の信者はその内に神を宿している事になります。信者はこの聖霊に恥じぬように神から与えられた使命を遂行していくことになります。

 この考え方は大乗仏教の如来蔵思想にも似ている面もありますが、如来蔵思想があくまでも先天的に一切の生き物に仏性が宿っているとするのに対して、聖霊は人間のキリスト教徒のみに宿るとされます。こうした違いはありますが、キリスト教徒が神の愛のミッションを強く遂行できるのは、神から頂いた聖霊を大事にしているからとも言えます。大乗仏教の信者もこれを見習ってもう少し自分の内にある仏性を大事にしていきたいものです。

 それではまた。合掌。

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