怒り
日々、腹立たしく悲しい事件が続く昨今、皆様はいかがお過ごしでしょうか?しかし、仏教者たる者、怒りは禁物です。華厳経の普賢菩薩行品に次のような文言があります。
仏子
若菩薩摩訶薩起一瞋恚心者
一切悪中無過此悪
何以故
仏子
菩薩摩訶薩起瞋恚心
則受百千障礙法門
要は怒りが仏教の修行をする上で最悪のものだと言っているのです。
怒りはもとより仏教で言う三大煩悩(三毒)の一つです。三毒とは無知と貪りと怒りですが、通常はこのうちで最も根源的な煩悩は無知だとされます。普賢菩薩行品では、なぜ煩悩の根源たる無知では無く、怒りを最悪としているのでしょうか?経典では怒りにより謙虚さが無くなり、悪い人たちがよってきて、悟れなくなるなどの理由が挙げられています。
しかし、まず、そもそも論として、三毒の筆頭である無知の解消は仏教の修行の最終目的でもあるので修行の障害という意味では少し違うのもあるでしょう。ここで言う無知とは知識の量が少ない事は意味しません。中立的な偏らないものの見方が出来る事が無知を破った智慧がある状態となります。仏教では全ての苦しみは偏った見方に原因があるとしているのです。
無知以外の残りの三毒である貪りと怒りでより盲目的で破壊的なのは怒りであり、怒りの方が修行の妨げとなるのは間違い無いでしょう。また、貪りもバランスの問題で、生命に必要な食事の摂取や求道心に基づく修行も過剰であれば貪りへと変化する性質のものですが、怒りは常に有害であり滅尽すべきものです。
経典では怒りを抑えるために、まず衆生を捨てない事が説かれています。全ての事象はお互いに関係性の中に生じてるに過ぎないとする空観を基礎した慈悲と利他の行いによって怒りを消すことが出来るのです。
なかなか難しい事ですが、頑張ってまいりましょう。
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