良寛さんの歌 その6
今回は良寛さんの晩年の歌をみながら、その思想の変化を考えてみたいと思います。まずは、その5に紹介したような、気弱な歌で晩年の良寛さんの落ち込みを見ていきます。
いかにして 人を育てむ 法のために こぼす涙は 我が落とすなくに
この歌は良寛さんが何度も仏法を説いても全く理解してくれない人がいて、自分の説得力のなさに自然に涙が出てきた情景を詠んでいます。理解力に乏しい相手にではなく、あくまでも自分の拙さを責めているのです。
楢崎の 森の烏の 鳴かぬ日は あれども袖の 濡れぬ日はなし
この歌は「うき世の人を思ひて」と前書きされた歌で、楢崎の森に住むカラスが鳴かない日はあっても、世の人々を思って自分が泣かない日は無いという意味になります。良寛さんのあふれる利他の心と現実との落差が晩年の良寛さんを嘆かせていたものと思われます。
老いぬれば まことをぢなく なりにけり 我さへにこそ 驚かりぬれ
歳をとってしまうと本当に意気地なしになってしまったことに自分も驚いているという意味になります。
このように晩年の良寛さんは悲観的な側面が目立ちますが、自力の菩薩行に半ば挫折した良寛さんは浄土教へ傾倒していきます。
御仏の まこと誓ひの 広くあらば 誘ひ給へ おぢなき我を
この歌の御仏は阿弥陀如来をを指します。阿弥陀如来の全ての衆生を救う誓いが広くあるのならば意気地なしの自分も極楽浄土へ導いてくださいの意味となります。
かくかくに ものな思ひそ 弥陀仏の 本の誓ひの あるにまかせて
あれこれと考え込まずに阿弥陀如来の本願にお任せなさいと言う意味になります。良寛さんは元々は禅僧です。もちろん阿弥陀如来にも敬意は表するでしょうが、この歌にあるような考えは浄土教の絶対他力であり、やはり禅僧としての自身の限界を感じていたものだと思われます。
草の庵に 寝ても覚めても 申すこと 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
これは訳する必要が無いと思いますが念仏三昧状態です。次は以前に紹介した辞世とは別の辞世だとする説のある歌です。
良寛に 辞世あるかと 人問はば 南無阿弥陀仏と言ふと答へよ
これも訳は不要かと思いますが、辞世を南無阿弥陀仏と言ってしまう程には浄土教への傾倒はあったと見られます。一方で、晩年でも禅僧らしい次のような歌も残っています。
いにしひの ひぢりの技を 今の世の うつし絵に見る ことぞうれしき
これは瓢鯰図という瓢箪でどうやって鯰を捕まえるかという禅問答の絵を見て詠まれた歌とされます。昔のすぐれた禅師の問答を今の時代に絵で見られるのを喜ぶ歌です。良寛さんがどやって鯰を捕まえたのか気になりますね。浄土教では成仏した人はこの世の衆生を教化するためにまた戻ってくると言われます。もし、如来となった良寛さんに会えたら禅問答をしてみたいものです。
それではまた、合掌。
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