仏教に興味がない医療者による仏教に熱心な入院患者への対応法を考える

 もしあなたが病院の医療スタッフで、担当の入院患者の一人が朝夕に読経され同室の患者様たちが気味悪がっていたとします。どの様に対応すれば良いでしょうか?これが正解だ!という対応は無いのですが、一つの案を提示します。本日はそれについて考えていきたいと思います。

 なお、前提としてあなたには仏教の知識が特に無いものとします。知識があれば、唱えているお経の内容や飾っている仏様や文字などから、うまい対策が思いつくこともありますが、今回はそういうのは無いものとします。また、読経の声量は通常の生活で発する音と同じ程度の騒音では無いレベルとします。

 さて、病棟スタッフの会議では、その患者様に大部屋での読経をやめてもらう事となり、あなたは業務上の命令によりその説得に向かいました。

 まず、患者様を別室に案内しましょう。大部屋で他人が聞いている状況では、お互いに言いたいことも言いにくいですし、相手のしたい行動の制限をお願いするにあたり、他人が周りにいてはその患者様に恥ずかしい思いをさせるかも知れないからです。

 ですが、一方で医療スタッフに呼びされた患者様は何事かと緊張するものです。相手を怖がらせない為の丁寧な対応を心がけましょう。また、もちろんその患者様は読経を良いことだと思ってやっていますので、他の患者様に迷惑だからヤメロなどと言ってはいけません。苦情があった事は伝えますが誰からと特定されるような事を言ってもいけません。その上で、この問題に関する患者様の意見を傾聴するところから始めましょう。

 この傾聴の事を、決して少なくない医療者がクレーマーを黙らせる為のテクニックだと勘違いしていますが、違います。相手に寄り添う心が無い傾聴は傾聴とは言いません。表情や態度も相手を安心させるものでなくてはなりません。相手の言っていることを単にオウム返しにするのもダメです。相手の言った内容を繰り返す技術は、相手が言ったことをこちらがちゃんと聞いていると示して安心してもらうのが主な目的なのです。また、こちらの理解の助けにもなります。思いやりの心がないオウム返しは相手の気分を害するだけです。とにかく相手の意見をちゃんと聞き、最終的に同意するかどうかは別としてしっかり理解するのが大切です。

 相手の言い分が理解できたならば、解決策を探る必要があります。強権的に相手の行動を制限してもいいことはありません。いくつかの代替案を提示しましょう。他の患者様への配慮から読経せずに心なかで念じるようにしてもらったり、患者様の希望があれば(多くは有料ですが)個室へ移って他の部屋に聞こえない程度の声量で読経を続けてもらったり、特定の時間を区切って面談室などの場所を使ってもらうとか、色々な可能性があります。これらのアイデアを病室でいきなり提示すれば、仮に聞き入れられても相手に不快な思いをさせます。別室で丁寧に傾聴し信頼関係が築けていれば、聞き入れてもらえる可能性も上がります。

 これで、うまくいくかどうかは分かりませんが、仏教を知らない医療者でも、相手をおもいやる利他の心や、傾聴するときの和顔愛語の態度は仏教の考えに通じるものがあり、相手が仏教者ならば感じてくれるところがあるでしょう。

 この対応方法は他にも応用が効くと思うので良かったら試してみてください。

 さて、今日の話はここまでなのですが、追加の話を少々しておきます。

 病院への入院や施設への入所をしている患者様たちの中には、それぞれの宗教への信心が深い人が少なからずいます。しかし、その対応についてはいささかの差別があるように感じます。例えば病院の病床で、ロザリオを持って神に祈っていても、神社の御札に祈っている人がいても、さほど問題視される事はありませんが、仏教を表にだすと「不吉だ」「まだ死んでない」などとの苦情が起きる事が多いです。もっとも、病院で小声でもお経を唱えたりする人は少ないので問題の数としては多くはありません。ただ、熱心な信者さんでも入院したら朝夕のお勤めは中止される方がほとんどで、やはり周囲への配慮があるのだと思われます。逆説的に言うと、これまでの人生でお経や仏教が死に結びつく何か不吉なものとする価値観に多く触れてきた表れでしょう。

 お経を唱えても許される、ビハーラ医療を提供する施設が増えればいいのにと思います。それではまた。合掌。

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