朱子と親鸞

  朱子学で有名な朱子こと朱熹と浄土真宗の開祖の親鸞は、前者が西暦1130年生まれ1200年没で、後者が1173年生まれ1263年没であり、生きた国は違っても生きた時代は重なっています。ただの偶然なのですが、実はこの二人は若い時に似た詩歌を詠んでいます。

 まずは朱熹が18歳の時に作ったと言われる漢詩です。

 勿謂今日不学而有来日
 勿謂今年不学而有来年
 日月逝矣歳不我延
 嗚呼老矣是誰之愆

 現代語訳では、「今日学ばずに明日があるなんて言うな、今年学ばずに来年があるなんて言うな、月日は過ぎてしまったが寿命は一緒にのびてはくれない、ああ、老いてしまったと言うのは一体誰の過ちでだ」となります。

 続いて、9歳の親鸞が自分の得度(出家の儀式)を翌日に延期しようとした慈円(後の天台座主)に対して詠んだ抗議の和歌です。

 明日ありと思う心の仇桜
 夜半に嵐の吹かぬものかは

 現代語訳では、「明日があると思う心は散りやすい桜のようなもの、夜に嵐が吹いて桜を散らしてしまうかも知れないのに」となり、つまり婉曲にさっさと得度を受けさせろと言っているのです。慈円は親鸞の到着時間が遅かったので明日にしようと提案していたのですが、この歌に感動して当日中に親鸞を得度させたと言われます。通常なら生意気なと怒られそうなものですが、慈円はさすが百人一首に載るほどの僧ですので、歌の心がわかっています。この歌を9歳の子が作ったのもすごいですが、真に恐るべきは子供がここまでの切迫感をもって道に望んでいることです。

 親鸞の切迫感も朱熹の切迫感も命の短さに対して学ぶべきことが多すぎるとの実感から生まれたと言えます。しかし、その結果導き出された物が、朱熹の場合は膨大な量の知の積み重ねと再編だったのに対して、親鸞は人間の不完全性を徹底的に見つめて仏教的な諦めに達するという正反対のベクトルを持つ教えだったのは興味深いところです。

 朱熹は不遇な最期を遂げましたが、その業績は後の世界に大きな影響を与えました。親鸞は、苦難の人生ではあったものの概ね良い最期を迎え、日本仏教に大きな変化をもたらしました。両者とも道を極めた人生だったと言えます。彼らの残した思想は賛否両論あるがゆえに、人々にさらなる思索と刺激を現代に至るまで営々と与え続けています。人生の短さに無頓着だと時間はあっという間に過ぎ去ってしまいます。別に歴史に残る業績を残さなくても、日々ムダなことで怒ったり争ったりしているとそれだけで人生は終わってしまいます。

 今の一瞬一瞬を大切にして生きてまいりましょう。

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