夏有涼風

  以前に紹介した公案集の「無門関」ですが、無門関は48の公案の例を集めたもので、それぞれの話の後に無門慧開禅師の感想が書かれ最後に詩で話をまとめた形式となっています。この無門関の19番目の話が、これも以前お話した禅語の平常心是道の元ネタとなっています。この話の最後の詩が次のものです。

 春有百花 秋有月 夏有涼風 冬有雪
 若無閑事挂心頭 便是人間好時節

 現代語訳は、「春に多くの花があり、秋には月がある。夏には涼しい風があり、冬には雪がある。もし心が無駄なことにこだわらなければ、人はいつでも良い時を過ごせる。」となります。

 この詩の中の、花を菩提心、月を仏法などと解釈することも可能ですが、今回注目したいのは「夏有涼風」です。この場合、各季節の良いことをあげているのだから涼風で良いのですが、夏が熱くてキツイから涼しい風がいい感じになる訳で、このギャップに詩情が感じられれます。

 道元禅師の有名な詩である「春は花 夏ほとゝきす 秋は月 冬雪さえて冷しかりけり」とは夏だけ違う形ですが、ホトトギスの声を聞くのも一休み感があります。

 何かしら良いことを探す姿勢はポリアンナか!というツッコミもおきそうですが、災害などに巻き込まれた場合などを別にして、世の中の座して考え込むようなタイプの悩みは見方しだいで大概は解決できるのもまた事実でしょう。

 皆様に良いことがありますように。

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