古墳と仏教
古墳と言うと仏教公伝以前の古代の王の墓というイメージが強く、有名な前方後円墳は大和政権関係者の墳墓で権力の象徴でもありました。5世紀以前の日本では肉体と霊魂を分けて考えてはいなかったとされており、死んだ王は肉体ごと神として祀られていました。しかし、肉体の無常を説く仏教が伝わると状況は変わっていきます。6世紀、第29代天皇の欽明天皇の時に仏教が伝わったとされますが、天皇の前方後円墳は第30代の敏達天皇が最後です。その後も東国では前方後円墳などの古墳が作られましたが、大化二年(646年)には古墳の築造を天皇の一族のみとする薄葬令が出され、天皇陵も7日で建造出来るものに縮小されました。さらにその後、律令制を完成させた女帝として有名な第41代天皇の持統天皇は死後火葬され、本人の古墳は作られることなく、夫の天武天皇の八角墳に分類される野口王墓に合葬されました。その孫で第42代天皇の文武天皇が慶雲4年(707年)に没し築造された八角墳が最後の古墳とされています(諸説あり)。
古代のロマンに溢れる古墳文化が消え去ったのは主として政治体制の変化により古墳建造にかかる社会的リソースを他のものに振り分けるようになったからではありますが、仏教の影響も大きかったものと思われます。まさに諸行無常ですね。
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