弁才天
今日は60日に一度の己巳(つちのとみ)の日で弁天様の縁日でもあり、弁天様のお話をと思ったのですが、あまりにもバリエーションが多すぎるので、今回は琵琶湖の竹生島の弁天様を軸にお話をいたします。
個人的には平家物語の印象が強い竹生島ですが古来聖地とされてきた由緒ある島です。社伝によると、神亀元年(724年)聖武天皇に天照大神より弁才天の聖地である竹生島に寺院を建立せよとのお告げが降り、行基に堂塔を開基させたとあります。竹生島は観音様の聖地でもあり西国三十三所の一つに数えられます。竹生島ではその始まりから神仏習合していたと言えます。
弁天様は元々はサラスヴァティという川の名前を冠した水の女神で、川の流れの連想から音楽や弁論にも優れているとされ日本でも水辺に祀られていることが多いです。インドの時代から既に言葉の神や讃歌の神との習合が生じはじめその守備範囲を広げていきます。これが漢語に訳される際には弁才天となり、しかも色んなご利益が付加されていた事ともあり、日本では弁才天ではなく弁財天とされる事もあります。こうした経緯から日本に渡った弁天様は、稲荷大神の宇迦之御魂命から派生した神とも言われる宇賀神と合わさっていきます。竹生島の弁天様の頭の上には人面の蛇がいますが、この人面蛇が宇賀神です。この形の弁天像も意外と多いです。こうして弁天様は弁舌、芸事、財産、良縁、護法などなど多種多様なご利益を担当するようになります。こうして強力な福の神となった弁天様は七福神の紅一点に数えられるようになるのです。また鬼退治で有名な鈴鹿御前は竹生島の弁才天の化身との伝説もあります。元々、仏教との結びつきが強かった弁天様ですが明治の神仏分離後は、神道にも仏教にも独立系の宗教にも別れてさらにそのバリエーションを広げていくのです。
オンソラソバテイエイソワカ
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