動物愛護週間

 日本では動物愛護週間は9月20日からの1週間で動物の愛護及び管理に関する法律で定められています。この法律の目的は、動物虐待の禁止などによる動物愛護と、動物による人やその財産への被害を防ぐ動物管理の2つです。

 要は生き物を傷つけないようにとの理念を再確認する週間で、時期も秋のお彼岸にほぼ重なることもあり、仏教者としても動物愛護につとめたいところです。

 昔から残酷な事をする人は後を絶ちませんが、異常な性癖による残虐行為ばかりでなく、お金儲けの為に行う人も多いものです。例えば、最近では規制も厳しくなっていますが、動画配信サービスなどでワザと過激な事をして再生回数を稼ぎ広告収入を稼ぐという人もいます。

 こういう人たちは、なぜ動物虐待をしてはいけないのか論理的に説明してみろなどとよく言います。彼らが納得できる回答が無いと動物虐待は許容されるべきだとの結論にしたい訳です。それは困るので非宗教的に可能な限り反論しておきます。

 歴史的にその適応範囲は変わっても人や生き物を大切にする思想は長く社会に残ってきた考え方であり、要はミームとして長く適者生存してきたのです。だから、いつの時代もそれに同意しない人たちは一定数いましたが主流派になることはありませんでした。また一般論として社会の多数派は異端を排除し、社会の安定化を図ります。よって極論すれば動物愛護週間も含めた動物愛護運動やそれを支持する法律は、社会安定のための仕組みであり、動物虐待を支持する人は排除・隔離・弾圧を受けやすくなるのです。だから、動物愛護の気持ちがこれっぽっちも無い人でも、動物愛護的に活動したほうがお得な事になります。

 非宗教的に損得で相手を説得するなら上記の様になりますが、宗教的に考えた場合、生き物を慈しむ思いが無い人でも利他の行いを続けていけばやがて慈悲の心が芽生えます。本来は子供の頃に人はそういう教育を受けるのですが、そうでなかった大人もそこそこいるのです。以前から言っている様に、社会が歴史的に築き上げてきた常識と呼ばれる範疇の倫理的規則に論理や理由づけなんて不要です。善いから善い、悪いから悪いで十分なのです。

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