断末魔
割と有名な話なのですが、断末魔という言葉は仏教というか古代インドのサンスクリット語に由来します。
古代インドの医学によると人の体には10〜120個あるとも言われるマルマンという急所があり、それを断つと激しい痛みが引き起こされ必ず死ぬとされていました。
このマルマンの漢語訳が末魔で、末魔ヲ断ツ、で断末魔です。北斗神拳はインド由来に違いありません。(北斗神拳は後漢の時代の仏教徒が開発したとの設定らしいのであながち嘘じゃないかもw)
こうした語源から、現代の日本では人が死ぬときの苦しみを断末魔というようになっています。では、人が死ぬときの苦しみとは何でしょうか?語源からみた場合は死ぬ前の物理的、肉体的な苦しみのことでしょう。でも、涅槃経にもあるように、死ぬ間際のお釈迦様すら病気による苦痛みは感じていました。仏教により老いや病の苦から逃れうるというのは肉体的な疼痛が無くなるのではなく、それによる心的な苦痛が無くなるという意味なのです。とは言え、現在の様な鎮痛も出来ない昔に、最期まで説法を続けたお釈迦様はやはりすごい人だったと言えます。
お釈迦様と違う凡夫としては肉体的な痛みもさることながら、自分が死んだ後の家族の心配や、やり残した事への無念さなどの心的苦痛は尽きません。死ぬ前に言っておきたい事も尽きることはありませんが、時間は無情に過ぎていきます。仏教に限らず、世界の伝統宗教はこの根源的な苦痛に対する何らかの救済を用意しており、そのことが何百年何千年と教えが受け継がれた理由の一つでもあるのでしょう。しかし、これらの宗教の信者もそうでない人も、最後の最後では死は個人の問題となります。だから心の持ちようが大切となるのです。
死に臨む全ての人の心が安らかでありますように、南無三宝。
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