比叡山焼き討ち
元亀2年9月12日(1571年9月30日)は織田信長により比叡山が焼き討ちにされた日です。僧侶以外にも比叡山側に避難していた周辺住民も犠牲になりました。いたましいことです。同じく信長に攻められた石山本願寺や長島願証寺では長期に渡る激戦が繰り広げられましたが、数千の僧兵がいたと言われる比叡山は1日で焼き尽くされほぼ一方的な殺戮でした。比叡山は戦国時代にあって浅井・朝倉家などの特定勢力に肩入れしながら、その敵である織田家から攻撃される訳がないとの無根拠な慢心があり防衛の準備が出来ていなかったのです。思い込みによる危険の過小評価がいかに恐ろしいかを今に伝えています。
もっとも、信長としては比叡山の力を削ぎ坂本などの要衝を抑えるのが目的であり、実は伝えられるほどの死傷者はいなかったとする説もありますが、いずれにしても少なからぬ命が失われ、比叡山の再建が始まるのは焼き討ちの13年も後になります。当時の天台座主である覚恕が唯々諾々と信長に屈していれば良かったのかと言えばそれも違う気がしますが、責任ある者の決断は時に多くの人の命に関わります。危険には過大評価も過小評価も有害です。仏教らしく中道の精神で状況を分析、対策を講じるのが良いでしょう。
今日は延暦寺でも鎮魂の法要が行われたそうです。昔の事件ですので犠牲者が全て成仏している事を祈って、合掌。
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