照千一隅
天台宗の「一隅を照らす運動」は、社会の一隅で道心を持ってその場を照らす生活をする人たちこそが国の宝だと解釈されています。伝教大師最澄が書いた山家学生式の原文でこの部分は「照千一隅」と読めますが、最澄は「于」を「千」と見えるように書くことも多かった事もあり上記の意味となる「照于一隅」と読むのが天台宗の統一見解となっています。この統一見解は昭和49年の決定ですが、最澄の死後は概ねこの読み方をされていました。
一方で、いやいやどう見ても「千」でしょと言う人もいます。そもそも、この部分の文章は、春秋時代に魏王が斉の威王に宝物の自慢話をしていた所、威王が自分には一隅を守り千里を照らす有能な家臣がいてそれこそが国の宝だと答えたのが元ネタとみられ、「照千一隅」の方が正しいという意見です。最澄の山家学生式も嵯峨天皇に国に役立つ人材育成のために比叡山の独立を訴えかける目的で作られたもので、国を照らす宝を育てるんだとの意気込みを見せたのだと思われます。
この一隅が千里を照らす「照千一隅」の考えは、禅宗などから見れば他を照らす前に自分を顧みよとなるでしょうし、浄土教的に見れば僧侶による過大な救済なんて驕りだとみなされるかも知れません。しかし、天台宗は日本でこそ総合仏教の代名詞ですが、その根幹は法華経思想に支えられています。最澄の思惑としては、僧侶たちにより世界を仏国土に導こうとしたと解釈するのが妥当でしょう。
とはいえ、「照于一隅」の考え方でも地に足をつけた一般人の道心をもった正しい生活の一つ一つが集まれば、やがて千里を照らすでしょうし、またその各一隅が千里を照らす事を目指して精進しても責められはしますまい。
ぱーっと明るく参りましょう。
コメント
コメントを投稿