仏教の伝統

  以前、常識を壊すな!と言う投稿をしましたが、常識の様に人間が長い時間をかけて作り上げてきた習慣を伝統と呼びます。仏教は伝播した時代や地域の文化に応じて発展して来た歴史がありますので、各地に郷土色豊かな仏教の伝統があります。今日は伝統はなるべく大切にしましょうというお話です。

 このブログでも時に伝統行事を紹介しています。例えば最近のブログ記事で紹介した地蔵盆の成立は江戸時代です。普通のお盆でも原型は大陸の六朝時代の頃の成立で、日本では推古天皇の時代が始まりです。インドのお釈迦様が言い出した行事で無いことは明白ですが、これらは仏教行事です。

 伝統に対する批判は大きく分けて二つで、一つは今の時代に合わなくなったとするもの、もう一つはその伝統が更に昔の時代の伝統と合っていないとするもので、そのいずれも攻撃的な場合が多いです。

 今の時代に合わなくなったという意見は、伝統を壊すことで利益があるか伝統を維持することで不利益がある人により唱えられます。伝統には有る種の義務感を伴いますので、それに反対するには実は伝統の方が悪いんだという論法が好まれることより攻撃的になりやすいのです。

 今の伝統がより昔の伝統とは違うと言う意見は、その人の考えに合わない伝統の非正統性を主張したい場合に使われます。伝統の良し悪しと言うよりは、否定する事を前提とした批判なので攻撃的なのです。例えば、ある種の仏教原理主義的な人達の意見では、原始仏教の伝統で無いものは全て邪教の伝統とされます。しかし、お釈迦様の教説に従うなら、全ては縁起の中にあり諸行は無常なのです。伝統も環境の影響を受け徐々に変化するのは仕方がないのです。固定した永遠不変の伝統なんて無いのが真理の表れなのです。また、そもそもお釈迦様の時代の伝統は正確には不明ですので比べる事が出来ません。

 だから、何かの伝統を変えようと意気込む人に注意して欲しいのは、伝統に対して攻撃的になってはその伝統を大切にする人との間に摩擦を生じることになるので、冷静に折衷案や妥協案をだして欲しいことです。何かしら伝統を守りにくい事態が生じた時に、その伝統の元の意図をくずさぬ形で多少の工夫を加える事だって可能なはずです。元の意図も含めて何が何でも不要だと思う場合でも、棲み分けを図ることは出来ます。伝統を守る方も冷静さを保って、双方の智慧の出し合いで問題が解決できれば素晴らしい事だと思います。ただ、伝統は文化と密接な関係がありますので、あまり急激な変化は郷土のアイデンティティー維持の観点からも好ましく無いと考えます。

 伝統は壊す前に、悪いと決めつける前に、少し考えるゆとりが欲しいものです。

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