念仏禅

 念仏禅とは念仏と禅がハイブリッドされた行です。他力の念仏と自力の禅をまぜるとは無茶な組み合わせのように見えますが、念仏禅における念仏は必ずしも他力的ではありません。日本での念仏禅は臨済宗の白隠の批判を受けほとんど残っていません。現在に残っているのは黄檗宗の禅浄双修です。一方で、黄檗宗が日本に伝わる江戸時代より前でも、念仏禅の発想はありました。今日はそんな一風変わった念仏禅の話です。

 まずは日本の念仏禅についてです。これは昨日のブログで紹介した一遍上人も含まれます。遊行のうちに自他の分別の超えあらゆるものが如来になるのはある意味で禅的な考えでしょう。また、曹洞宗の僧で子供好きで有名な良寛さんは念仏もされていました。ただこれは何でもアリの良寛さん的な雑炊宗によるもので特に禅と念仏を結びつけたものでは無いです。さらに、日本で最も有名な僧だと思われる臨済宗の一休さんも、浄土は心により作り出され阿弥陀如来も自分の内にあると「阿弥陀裸物語」で説いています。また、伊達藩に招聘された臨済宗の雲居希膺も当地に念仏禅を伝え、それを108の道歌にまとめた「往生要歌」を残しています。その中で雲居は、阿弥陀如来を悟れば浄土は遥か西方では無くここにあるとわかるとしています。このように念仏とはいっても、いずれも阿弥陀如来の絶対他力にまかせる浄土教の思想とは一線を画しているのがおわかりいただけるかと思います。

 次は現代に残る黄檗宗の禅浄双修です。基本発想としては上記の一休禅師のものとほぼ同じです。念仏禅の歴史をみてみると、はじめは宋の時代から永明延寿の影響で広がったとされています。永明は、禅の修行では10人のうち9人までもが道を誤るが、念仏は全ての人を往生させる、両方を修めると現世では人師となり来世では仏となる、両方しないのは良くないと言っています。彼の意見だと10名中9名が道を誤る禅に念仏を足すだけで、劇的な効果が生まれる訳ですが、これは禅で悟ったと思う者の多くは単なる傲慢に過ぎず、その点で徹底的に自己の非完全性を突きつける浄土教の教えはブレーキとなりえますので、確かに相乗効果は見込めるかも知れません。その後、元の時代になるとチベット密教が国教となったため、危機的立場となった漢人の伝統仏教は結束を強くし融合が進んで行きます。さらに元が倒れ漢人王朝の明になるのですが、明の王が儒教と道教と仏教の融合をさせた思想を流布させた影響もあり、仏教内でも諸派の融合が進み臨済宗を軸にまとまっていき、雲棲祩宏により禅浄双修がまとめられました。この流れで後に黄檗宗が生まれることになります。黄檗宗では、念仏は精神集中の材料に使われる他、いわゆる禅問答の公案にも利用されています。禅浄双修とはいっても黄檗宗は基本が禅宗ですからが念仏はこのように禅の道具として使われている訳です。日本ではやや黄檗宗の念仏の側面が強調されがちですが、これは日本に黄檗宗を伝えた隠元禅師の影響もあります。彼は当時の日本人の性質が劣り気力も微弱で禅の修行に耐えうる能力が無いのを哀れんで方便として念仏を強調したのだと言っています。この日本人無能説は恐らく戒律が厳しかった当時の黄檗宗から見たとき、世界的にみても戒律が無いに等しいくらいゆるい日本の仏教者は著しく無能に見え、隠元が文化の差を理解出来ずに起きた論だと思われます。

 さて、日本に念仏禅がほとんど残っていないのは、冒頭に述べたように白隠禅師の影響が強いです。彼が隠元の日本人無能論に反感を持っていたかどうかは分かりませんが、念仏禅に対してはこれを厳しく糾弾しています。禅の修行が失敗した時に保険として機能する念仏を修行を阻害するものと考え併修の危険を説いたのです。また、浄土教側からみても阿弥陀如来への信心をもって絶対他力に身を任せるのが良しとされるので、念仏禅は異端的存在です。日本人の既存の宗派からは念仏禅は受け入れがたいものだったのです。

 では黄檗宗以外の念仏禅は完全に絶えたのかと言えば、見方によっては残っているとも言えます。白隠はあくまでも禅と念仏の併修を批判しているだけで、禅の修行者以外が行う念仏は否定していません。しかし、白隠の念仏理解はかなり禅的なもので黄檗宗のそれと大差なく、もしその考えに従い念仏を行えば事実上の念仏禅です。また浄土教の観点から見ても一心に念仏を唱えれば、いくら自力での修行を否定したところで、禅的な精神の集中が発生するのは避けがたいです。禅から念仏を排除は出来ても、念仏から禅の要素を排除するのは実際のところ難しいのかも知れません。もちろん、その結果を自力と捉えず他力だと考えれば、自他の執着が残っており禅とは言えないですが、精神を集中した際に現象としておきることは同じです。こうした多宗派の見解の違いを俯瞰すると、言語や名前は本当に空なのだなと龍樹菩薩の教えの深さをしみじみと感じます。

 それではまた、合掌。

コメント

このブログの人気の投稿

妙好人、浅原才市の詩

現代中国の仏教

懐中名号