価値観と空
世の中には多様な価値観があります。前回話題にした痛みのコントロール一つとっても、私は根性論で痛みに立ち向かうことを間違っていると言いましたが、根性論をよしとする価値観を持つ人もいるわけです。今回はそんな価値観の相違を般若心経でもお馴染みの空の考え方でみてみましょう。
仏教で四句と呼ばれる存在に関する考察では、物事は「有」、「無」、「有であり無」、「有でなく無でもない」、の四つに分類されます。この四句の四つ目の「有でなく無でもない」との見解が、空を重んじる大乗仏教の立場からすれば正解なはずですが空も空と見て、これらの四つ全てを絶対的な真理ではないと否定するのを是としています。世俗の価値観と宗教的価値観が異なる時に、世俗側を全否定することなしに問題の解決を目指す大乗仏教らしい考え方です。
これは単に宗教と世俗との価値観の相違や対立のみでなく、専門家と一般人とのそれとにも言えることです。世の中は多種多様な専門分野がありますが、例えば今回の新型コロナウイルスの蔓延、少し前の話では福島の原発事故の時など、専門家と一般人の意見には大きな隔たりがあった事がありました。こんな時に、一般人を無知蒙昧な愚民どもよと切り捨てる専門家様もおりますが、たとえ正しいことを言っていてもそんな態度で相手を説得できると思っているのなら専門家様の方が愚かと言えましょう。正しい意見を言っているのだから、従わない方が悪いと言う発想は象牙の塔に住む学者様にありがちな話です。結果として状況が正しい方向に動けばそれも無駄ではないのですが、礼儀正しく通常の手続きを踏んで介入した方がより早く解決することの方が多いものです。
人は誰しも何らかの専門性を持って社会と接しています。専門家にありがちな独善に陥らぬように気をつけて参りたいものです。
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