御霊信仰と災厄
日本には古く御霊信仰というものがあり、天災や疫病などの災厄が非業の死を遂げた人の霊の仕業として、その霊を祀って災厄を鎮めようとするものだ。崇徳天皇や菅原道真や平将門などのそうそうたるメンバーがこれにあたる。当初はその怒りをおさめようとして祀っていたはずだが、後には普通に神として祀られているのも興味深い。
現代では何か災厄が起きた時に、霊のしわざだとしてそれを祀ることはもちろん無いが、こういう宗教的な素地が負けた方に対する同情心が強い日本文化を涵養したのだろう。平家物語にしても最終的に勝利を修めた源頼朝は話の主体ではなく、滅んだ平家一門や非業の最期を遂げた源義経がより目立っている。
ただ、敗者への思いやりに富んでいたはずの日本の文化も最近ではそうでもない。災厄続きで人心に余裕が無くなっているのも一因だと思う。御霊信仰では無くても、災厄時には人心を落ち着かせるための何かが必要だ。政策的には減税とか補償制度の拡充とかしようもあるしそれを実行する時にメッセージを乗せるがの重要となるのだが、どちらも今ひとつと言わざるを得ないのは残念だ。今は個人で出来る個々の心のもち方を見直すことからはじめていきたい。
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