新型コロナウイルス弱毒化説を考える
イタリアの病院からの報告で新型コロナウイルスの毒性が弱くなっているのではないかとの意見が出ている。あくまでも印象レベルの話だが、実際に弱毒化している可能性もいくらかはある。また、同時にそう断言できるほどの根拠も無い。今日はこの件について考える。
ウイルスは変異し続けるものなので今後の変化は予測出来ないが、ある時点で同種だが毒性の強いウイルスと弱いウイルスがあったとして、重症化した患者には毒性の強いタイプのウイルスが感染した割合が高いので、より重症度の高い患者から優先的に入院し社会から隔離されると、市中に残るウイルスは弱毒なものの割合が増える事になる。
入院した患者が最終的に回復したにしても死亡したにしても、その患者が持っていた強毒性のウイルスは、不幸な医療関係者に感染しなければ、さらなる拡散を起こさずに消える事となる。
こうして治療法が無くても病院や隔離施設の機能が十全に機能していれば、徐々にウイルスは弱毒化していく可能性はある。
ただし、この仮説を過信するのは危険だ。先述のようにウイルスは変異するので、新たに毒性の強いウイルスがあらわれる事もある。また、元々の毒性の差が少なければ弱毒化の速度も遅く、弱毒化の程度も大したことは無いはずだ。さらに前提として強弱2種類しか想定していないが、実際のウイルスにはもっと多様性があり季節や気候を含む環境や感染する人間などの条件よりその悪性度も異なるかも知れない。
また、もし実際に重症になる人の割合が下がっていても、それはウイルスの弱毒化によるものなのかは断言出来ない。特にイタリアでは高齢者や持病があり重症化しやすかった人の相当数は既に死亡するか治って完全では無いまでも免疫が出来ており、残った人達の感染で重症化する割合が減るのは当然と言える。
つまり、ウイルスが安全になったと断言出来る証拠は今のところ無い。まだよく分からないのに安全だと信じて警戒を解くのはリスクが高い。石橋は叩いて渡るべきだ、特に重大な結果を招く恐れがある時は。ただ逆に、十分な根拠があれば過度の警戒をすべきではなく、今後とも状況の把握に務めるべきだろう。
人は往々にして自分に都合のいい情報をなんだかんだと理由をつけて信じたがる。情報の取捨選択をするにあたりバイアスから逃れられる人間なんていないが、それを知っているだけでもバイアスの影響を少なくは出来る。意図的に自分に不都合な情報が真実ではないかも含めて考えないと足元をすくわれる事になるだろう。
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