命の選択が気軽に行われすぎる
コロナ無害論者の一部はこう言う、この病気は若者にはほぼ無害だから自粛なんてとんでもない。また、こうも言う日本人にはほぼ無害だから、自粛なんてとんでもない。
若者に害が生じる可能性が低いのはその通りだ。日本人というかアジア人に感染しにくいのもその可能性はある。しかし、もしそうだとしても、それで老人や非アジア人の死は仕方ないと切り捨てて良いものなのか?
確かに自粛に伴う経済的打撃は甚大だし早急な対策が必要なのも間違いない。だが、その対策は以前のように夜の街で遊んだり、狭い空間で人が集まって大声を出すような物以外でも良いはずだ。それが若者だけの集まりでも、その結果として感染が急速に拡大すれば接触者の追跡が困難になり封じ込められなくなる。
失業には公的補償もある。さらには生活保護など抵抗する手段がある。だが、今度の感染症は未だに治療法が確立しておらず重症化や死亡する可能性が高い老人には特に危険だ。
直接的に手を下さなければ、自分の行動で人が死んでも気にしないのか?自分にとって利益のない老人や外国人の命はどうでも良いのか?自分のおじいちゃんやおばあちゃんの命は、外国人の友人の命は大切ではないのか?
新型コロナウイルスはまだまだ未知の部分が多い。もしかしたら何も対策をしなくても大きな被害が生じない可能性も全く無いわけではない。だがそれは希望的観測であり根拠に乏しい。特に根拠はないけど、自分は多分大丈夫だから老人と外国人の命は気にしなくても良いという理屈はあまりにも恐ろしい。
いや、そこまで確信を持っている人は少数派で、多くは無自覚なだけだろう。そう信じたい。
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