陰謀論の見極め

 昨日書いたように陰謀論のほとんど全ては嘘です。ただ稀に陰謀論が本当だった事例もあり慎重な判断が求められます。今日は、陰謀論を見極める方法をお話しします。

 陰謀論に騙され無いようにするにはまず陰謀論を知らなくてはいけません。世の中には様々な陰謀論がありそれぞれの説に熱心な信奉者もいます。何故か?陰謀論には人を惹きつける類型があるからです。

 私が提唱する陰謀論が成立する要件は主に3つです。
 1つ目は大きな事件がある事です。これは一つでも複数でも構いませんが不正な内容である必要があります。誰かが密かに大きな慈善事業を行っていたのが露見してもただの良い話です。
 2つ目はその事件の全てをコントロールする強大な悪役の存在です。警察やマスコミはそれに気づいていないかその悪役の味方です。
 3つ目はこの陰謀に気がつく有能な市民はあなただとする語り手の存在です。自分達を脅かす悪者から社会を友人を家族を守るのはあなたなのです!!語り手は様々な証拠を次々に提示してそう信じさせます。こういう話を信じてしまった人は新たな語り手となってさらに被害者を増やしていくのです。

 この要件がそろってそれを信じてしまうと実は楽しくワクワクする人も多いのです。ある程度の知性と強い正義感をもつ人ほどそうです。
 考えてでもみてください。誰にも気づかれずに自分達を脅かしている悪くて強い××団や○○人や△△民族を、正義の志をもつ精鋭の仲間で倒そうとしているのです。圧倒的に強い敵を倒すには様々な作戦が必要です。時には正義の名のもとに非合法な活動をするのも、効率的に自分達の思想を広げるのも知的な刺激があります。友達や家族に恐ろしい陰謀を告げて一笑にふされたとしても、それでも自分達は彼らを守るんだというヒロイズムがかきたてられるのです。実に燃えるシチュエーションじゃないですか。

 それでは陰謀論の類型が分かったところで、陰謀論がなぜおかしいのかを説明します。まず第一に、そんなに恐ろしく強大な組織があったとして、それに抵抗する人達が騒ぐのを放っておくでしょうか?この疑問への反論としては、放置して自分たちの活動を馬鹿馬鹿しいと思わせることで陰謀が発覚しないようにしているのだというものがよくありますが、例えば実際の独裁国で政府の批判をしようものなら速攻で物理的に消されます。圧倒的な力を持つ者が社会の印象操作などする必要はありません。逆らう人達を放置する可能性は限りなく低いと言えるでしょう。よって何年も騒がれている三百人委員会もイルミナティもいません。フリーメーソンはありますが単なる友愛団体です。神社本庁や創価学会や日本会議やカトリック中央協議会がなにかの政治活動をしていても、陰謀論者が言うほどの力はなく単なる圧力団体という認識でいいです。逆にそこまで強くない組織だから、印象操作を必要とするのだと言う反論も出ますが、そこまで強くない組織が次々に大きな事件をバレずに起こすことなど不可能です。つまり陰謀論はその前提からおかしいのです。

 一般論として陰謀論を否定すると、もちろん過去にあった実在の陰謀論を持ち出して反論を受けます。それについて考えてみましょう。日本で最も有名な陰謀論だと思っていたら実際の大事件でしたという悲劇は間違いなく北朝鮮による日本人拉致事件です。ある程度の年齢以上の人なら覚えているでしょうが、この話が出始めた頃は北朝鮮による犯行を疑った人は少数派でした。亡命した北朝鮮工作員の証言と、警察の捜査内容が一致しなければ完全犯罪が成立していた可能性すらあります。大変恐ろしいことです。私もかつて、工作員でない一般の脱北者の方と話をしたことがありますが、北朝鮮に批判的なはずの脱北者ですら北朝鮮による日本人拉致の話は当初信じていなかったそうです。日本には北朝鮮国籍の永住者が沢山いますし、彼らからの情報で十分に事足りるはずだったからです。これは多くの日本人も同じような考えでした。いくら北朝鮮でもそんな馬鹿な事をするわけがないと信じていたのです。独裁政権の異常性を見抜けなかったのは、当時を生きていた我らの落ち度でもあります。
 では、この拉致事件は先述の陰謀論の要件を満たしているでしょうか?実に微妙な話ですがよく見ると満たしていません。要件の1つ目の大事件は満たしています。しかも頻発しています。要件の2つ目の、全てをコントロールする強大な悪については満たしていません。北朝鮮は確かに強大な悪の組織ですが日本国内でも圧倒的な力を持つわけでは無いからです。つまり、世界各国や犯罪組織が日々行っている様々な工作には用心するべきなのですが、それをまさかと感じた日本人側にも盲点があったと言えます。要件の3つ目の煽る語り手ですが一部にはありました。これが拉致事件の信用性を下げる一因になったとも言えます。御存知の通り、北朝鮮の国民は日本にいても独裁者の統制下にあります。この状態で北朝鮮国家主導で日本人を標的にした犯罪があったすれば、それはそのまま民族差別に直結する恐れもありました。だから、確たる証拠が無い状態でうかつに抗議すると期せずして民族差別主義者の片棒を担ぐ事になりはしないかという懸念が当時の国民にはあったのです。実際に1990年代からの活動には明らかに怪しい右翼団体によるものもあり、彼らを信用するに値せずとの風潮が事件そのものへの軽視につながった感もあります。結果として冷静に状況を訴える人の声や膨大な証拠も無視されて来たのです。
 残念ながら、よく観察すれば事実だと分かる事でも陰謀論だと言われてしまう事はあるので注意は必要です。

 この様に見落とされる事もありますが、この考え方が陰謀論を見抜く一助になれば幸いです。とりあえず、状況の全てをコントロールする敵が出てくる話は否定して構いません。陰謀論っぽい話はそれがどんなに魅力的に見えてもよくよく吟味する必要があります。お互いに騙されないように注意して生きましょう。仏教における偏らない中道的な物の見方もこれを助けてくれるでしょう。南無佛。

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