庚申信仰
今日は60日に1回の庚申の日です。四天王寺の庚申堂などでも有名な庚申信仰ですがいったいどのようなものでしょうか?
その前に、そもそも庚申とは何かをお話ししておきます。阪神タイガースや高校野球で有名な甲子園球場は皆様ご存知のことかと思いますが、甲子園の甲子とは球場が開場した大正13年が甲子の年だったから甲子園と命名されたのです。漢字文化圏で古くから使われてきた干支と呼ばれる時間や方位や角度を示す数詞があり、それは甲子に始まり60番目の癸亥で終わります。戊辰戦争の戊辰や壬申の乱の壬申もこの干支の一つです。また60歳で還暦とされるのは干支の年が60年で1周するからです。もちろん干支の日も60日周期です。庚申はこの干支の57番目にあたります。干支はおなじみの十二支(子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥)と十干(甲乙丙丁戊己庚辛壬癸)の組み合わせで出来ています。干支の漢字二文字の頭が十干、二文字目が十二支で、順に並べると10と12の最小公倍数の60で一巡する訳です。
さて話がそれましたが、道教ではこの庚申の日の夜に、人の体に住んでいる三尸という三種類の虫が天帝(道教の神)に人の悪事を報告しに行くとされていました。この三尸は人が眠っていないとその体から抜け出せないともされていたので、庚申の日の夜にみんなで徹夜をして神を祀り飲み食いする庚申待という風習が古来からあったと伝えられます。平安時代の有名な随筆である枕草子にもこの庚申待の様子が描かれています。
元々は道教の行事だったのですが、仏教や神道にも習合されていきます。三尸を抑える庚申尊として仏教では青面金剛明王が神道では猿田彦神があてられています。また、庚申の申は十二支の申(猿)なので猿も祀られる場合が多く、青面金剛明王とともに見ざる聞かざる言わざるの三猿を祀るお堂も多いです。日本で始めに庚申尊が出現したと伝えられるのは冒頭にご紹介した四天王寺の庚申堂です。大宝元年(701年)1月7日の庚申の日に、疫病に苦しむ多くの人を救おうと祈っていた豪範僧都の元へ帝釈天の使いとして青面金剛童子が現れ除災無病の霊験を示したと言われます。虫をやっつけるだけじゃなかったんですね。
現代の疫病はまだまだ続くようですが、早く落ち着くように祈ります。体に悪いので徹夜はしないでくださいね。それではまた、合掌。
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