ジャータカ、転生したらお釈迦様だった件
仏教にまつわる話にジャータカと呼ばれるお釈迦様の前世の物語があり、いくつも語りつがれています。
仏教が成立した頃のインドでは輪廻転生は世間一般の常識でした。仏教は悟りを開いて苦しみから解放されるのが目的ですが、悟りを開けないと転生を繰り返し、なんども苦しい生老病死が続くとされていたのです。
この考え方は仏教伝来により日本にも定着しています。現代でも死に別れることを今生の別れともいいますが、今生とは今の生であって、前世の生や来世の生が前提となっているのです。仏教的にはどんな虫や動物や悪い人も過去の世で親兄弟や友人だったかも知れず慈悲の心を持つように勧められているのを聞いたことがある人も多いかと思います。昔話だけでなく今でも漫画やアニメなどで転生するお話は作られていますが、それも日本に転生という考え方が根付いていたからだとも言えます。転生物の元祖はジャータカなのかも知れませんね。
歴史的に考えるとお釈迦様自身が、俺の前世はこんなカッコイイ奴だったんだぜと自慢気にお弟子様達に語っとは考えにくく、後世の人達が、こんなに素晴らしいお釈迦様は前世で余程の功徳を積んで来たに違いないと、次々と物語を作っていったのだと思われます。飢えた子をもつ母虎に自分の身を食べさせる菩薩の話や、修行者の供物として自分の身を捧げ火に飛び込むウサギの話(月にウサギの絵が描いてある理由の昔話)、など自己犠牲の話が有名ですが、多種多様な話があります。
こんな話もあります。昔、六本の牙を持つ象の王様がいたのですが、お妃の象の一頭が大変に嫉妬深く色んな誤解から王様を恨むようになり、転生して復讐するために自ら餓死してしまいます。そして人間へ転生した象のお妃は、今度は人間の王妃となって象の王様の象牙を取るように王をそそのかします。王に遣わされた狩人によって倒された象の王様は死ぬ前に、転生した王妃が自分の象牙を欲していると知り、自ら象牙を切って狩人に捧げたのでした。その象牙を届けられた王妃は、念願だったはずの象の王が死が悲しくなり、その悲しみのあまりそのまま死んでしまいました。
この話では象の王様がお釈迦様の前世です。お釈迦様スゴイ!と言いたいところですが、どうしてもお妃の象の愛の重さと悲しさに目がいってしまいます。私達も愛や憎しみで取り返しのつかないことをしないようにしたいものですね。
それではまた、合掌。
仏教が成立した頃のインドでは輪廻転生は世間一般の常識でした。仏教は悟りを開いて苦しみから解放されるのが目的ですが、悟りを開けないと転生を繰り返し、なんども苦しい生老病死が続くとされていたのです。
この考え方は仏教伝来により日本にも定着しています。現代でも死に別れることを今生の別れともいいますが、今生とは今の生であって、前世の生や来世の生が前提となっているのです。仏教的にはどんな虫や動物や悪い人も過去の世で親兄弟や友人だったかも知れず慈悲の心を持つように勧められているのを聞いたことがある人も多いかと思います。昔話だけでなく今でも漫画やアニメなどで転生するお話は作られていますが、それも日本に転生という考え方が根付いていたからだとも言えます。転生物の元祖はジャータカなのかも知れませんね。
歴史的に考えるとお釈迦様自身が、俺の前世はこんなカッコイイ奴だったんだぜと自慢気にお弟子様達に語っとは考えにくく、後世の人達が、こんなに素晴らしいお釈迦様は前世で余程の功徳を積んで来たに違いないと、次々と物語を作っていったのだと思われます。飢えた子をもつ母虎に自分の身を食べさせる菩薩の話や、修行者の供物として自分の身を捧げ火に飛び込むウサギの話(月にウサギの絵が描いてある理由の昔話)、など自己犠牲の話が有名ですが、多種多様な話があります。
こんな話もあります。昔、六本の牙を持つ象の王様がいたのですが、お妃の象の一頭が大変に嫉妬深く色んな誤解から王様を恨むようになり、転生して復讐するために自ら餓死してしまいます。そして人間へ転生した象のお妃は、今度は人間の王妃となって象の王様の象牙を取るように王をそそのかします。王に遣わされた狩人によって倒された象の王様は死ぬ前に、転生した王妃が自分の象牙を欲していると知り、自ら象牙を切って狩人に捧げたのでした。その象牙を届けられた王妃は、念願だったはずの象の王が死が悲しくなり、その悲しみのあまりそのまま死んでしまいました。
この話では象の王様がお釈迦様の前世です。お釈迦様スゴイ!と言いたいところですが、どうしてもお妃の象の愛の重さと悲しさに目がいってしまいます。私達も愛や憎しみで取り返しのつかないことをしないようにしたいものですね。
それではまた、合掌。
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