今こそ慈悲です。
慈悲は仏教の根幹の一つです。慈は人々に楽を与え、悲は人々の苦を除く事です。慈悲は元々は仏や僧から衆生(人々)に施されるものですが、大乗仏教においては在家の信者も仏を目指す菩薩として生きていますので、全ての人々がお互いに楽を与え苦を除く助け合いの社会が実現されます。
仏教では全てのものは移ろいゆき、全ての自我は関係性の中にしか存在せず確固たる自分と言うものは存在しないと説かれます。全ての他人や環境などが自分に影響を及ぼし、自分もまた世界に影響を与えて存在しているのです。その全ての要素が仏になれると考えられており、世界は仏で満たされていることになります。密教では世界全体が大日如来の現れと見ていますし、他の大乗仏教諸宗派でも類似の思想がみられ、世界はみな仲間だとも言えます。
特に日本風の仏教では、先祖への敬意も相まって仲間意識が強いです。例えば、日本独自の仏教行事にお彼岸がありますね。皆さんもお彼岸に墓参りにいくこともあるかと思います。この行事は、仏教伝来前より日本にあった風習が仏教に取り込まれたものと考えられています。よく日本社会は巨大なムラ社会だと言われていますが、こまった時はお互い様といった、日本人みな家族的な発想は、伝来思想である仏教にも取り込まれて独特な発展を遂げてきました。
しかし、近現代になって仏教や神道の信仰が廃れたことにより、この基本的な日本人の思想は形を変えてしまい、その結果として今の同調圧力の強い社会が出来ていると言えます。はたして、日本の伝統宗教が衰退した影響で消えたものは何でしょうか?それこそ仏教的な慈悲の心であり、神道的な家族愛の心です。この愛と慈悲が無ければ日本風の社会は単に他罰的な相互監視の社会でありディストピアとすら言えます。
過酷な環境にある現在だからこそ、社会に慈悲の心が取り戻されるように精進して参りましょう。南無佛。
仏教では全てのものは移ろいゆき、全ての自我は関係性の中にしか存在せず確固たる自分と言うものは存在しないと説かれます。全ての他人や環境などが自分に影響を及ぼし、自分もまた世界に影響を与えて存在しているのです。その全ての要素が仏になれると考えられており、世界は仏で満たされていることになります。密教では世界全体が大日如来の現れと見ていますし、他の大乗仏教諸宗派でも類似の思想がみられ、世界はみな仲間だとも言えます。
特に日本風の仏教では、先祖への敬意も相まって仲間意識が強いです。例えば、日本独自の仏教行事にお彼岸がありますね。皆さんもお彼岸に墓参りにいくこともあるかと思います。この行事は、仏教伝来前より日本にあった風習が仏教に取り込まれたものと考えられています。よく日本社会は巨大なムラ社会だと言われていますが、こまった時はお互い様といった、日本人みな家族的な発想は、伝来思想である仏教にも取り込まれて独特な発展を遂げてきました。
しかし、近現代になって仏教や神道の信仰が廃れたことにより、この基本的な日本人の思想は形を変えてしまい、その結果として今の同調圧力の強い社会が出来ていると言えます。はたして、日本の伝統宗教が衰退した影響で消えたものは何でしょうか?それこそ仏教的な慈悲の心であり、神道的な家族愛の心です。この愛と慈悲が無ければ日本風の社会は単に他罰的な相互監視の社会でありディストピアとすら言えます。
過酷な環境にある現在だからこそ、社会に慈悲の心が取り戻されるように精進して参りましょう。南無佛。
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