和泉式部と仏教

 和泉式部は恋多き女流歌人で、娘の小式部内侍とともに百人一首に選ばれるなど才能にあふれる女性として、紫式部や清少納言と並び称される、平安時代の超有名文化人です。

 そんな彼女ですが晩年は不遇であり仏教への傾倒があったと伝えられています。今回は彼女の歌をいくつか紹介します。

 まずは、おなじみ百人一首に選ばれているこの歌です。
「あらざらむ此よの外の思出に今ひとたびのあふ事もがな」
 病気が重く死を覚悟した時に読まれた歌で、恋する人にもう一度あって死後の思い出にしたいという内容です。実はこの歌が読まれた時期や送られた相手は不明ですが、燃えるような渇愛です。もちろんこの様な煩悩は仏教的にはどうなのかと言う疑問も出るでしょうが、こういう感情も丸呑みにして悩める衆生を救ってきたのが日本の仏教だと言えます。

 次は才気あふれる娘だった小式部内侍が夭逝してしまった時の母としての悲しみを詠んだこの歌です。
「とどめおきて誰をあはれと思ふらむ子はまさるらむ子はまさりけり」
 死んでしまった小式部内侍は誰の事を思っているだろうか?きっと子供たちの事に違いない自分も娘がもっとも愛おしいから、という意味です。ここに書かれているように小式部内侍には子供たちがいました。小式部内侍の子の一人の静円は歌人の才もある僧侶となり、他の子である頼忍も高徳の僧の称号である阿闍梨を得ていました。小式部内侍の死後の和泉式部の晩年は不明ですが、孫たちに仏教教育を受けさせたのかも知れませんね。

 三つ目は、悩める和泉式部が当時の天台宗高僧である性空に救いを求めて訪れますが居留守を使われてしまいその柱に書き残したと伝えられるこの歌です。
「暗きより暗き道にぞ入りぬべき遥かに照らせ山の端の月」
 煩悩に迷っている自分を仏教の真理が導いてくれますようにとの意味です。この歌に感動した性空は居留守をやめて次の歌を返します。
「日は入りて月まだいでぬたそがれに掲げて照らす法の灯」
お釈迦様が入滅され、弥勒菩薩の成仏も遠い未来である現在を、仏法の灯で照らしましょうという意味です。和泉式部は性空から仏法を説かれ袈裟を与えられ、その袈裟を来て死んだとも言われます。戒名は誠心院専意法尼、誠心と専意とは色々考えさせられます。そんな和泉式部ですが、実は日本各地に墓所と伝えられる史跡があります。晩年は不遇でしたが、煩悩に生き悩み救われたスター歌人の伝説に自らを重ねて共感する人も多かったのでしょう。あたたかみのある話です。

 それではまた、合掌。


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