稲荷神と日本仏教の関係
今日は旧暦の二月初午の日です。和銅四年(西暦711年)二月の初午の日に稲荷神が伏見のお山に降りたとされております。今では新暦二月の初午の日にお祭りされる事が多いですが、二月の初午の日は稲荷社のお祭りの日です。さて、そんな稲荷神ですが、実は日本仏教と強いつながりがあります。古いお寺に参ると境内に稲荷社があるところも多いので、目にしたことがある方も多いことでしょう。
稲荷神と仏教との関係で最も有名な話では京都は東寺の国宝にもなっている五重塔を弘法大師空海が建設中に稲荷山の木を伐採したため、時の天皇が祟られたと言うものです。以後、東寺と稲荷大社は関係を持つようになり、空海が稲荷神に仏教の護法神となってもらう様にお願いしたとされています。今でも伏見稲荷の還幸祭の時には稲荷大社の神輿が東寺に立ち寄っています。
また、曹洞宗の開祖である道元が南宋の国に留学した時に体調を悪くし、その際に治療してくれたのが稲荷神だったという伝説もあります。曹洞宗では他にもダキニ天を稲荷神として祀っている豊川稲荷こと愛知県の妙厳寺も有名です。
神祇不拝(神様は拝まない)として有名な浄土真宗の西本願寺も明治になるまでは伏見稲荷大社に初穂を供進していました。真宗の現生十益では護法善神が行者を護るとも解釈されており、日本の神々を軽んじてはいません。
とは言え、当の伏見稲荷大社はかつて神宮寺として境内にあった愛染寺とはあまり良好な関係ではありませんでした。江戸時代後期の国学者伴信友も、日本の神々を仏の仮の姿とする本地垂迹説に強烈な反感を持って最澄や空海を糾弾しています。そして、明治になり起きた廃仏毀釈により、日本中の神社から神宮寺は消滅しました。
この様に色々あったお寺と神社ですが、今でもお寺の境内に稲荷神やその他の神を祀る祠などが散見されます。これは仏教だからと言うよりもみんな仲良くしようと言う日本的な発想に由来しているのかも知れません。日本仏教の祖とも言える聖徳太子も、「和らかなるをもって貴しとなし、忤ふることなきを宗となす。」と言っており、和のこころを大切にしていきたいものです。
先祖から受け継いだ大切な事を、後に残る人達にも伝えていきましょう。
それではまた、合掌。
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