四諦八正道、その1

 今回は、お釈迦様が悟りを開いて後に初めてした説法された四諦八正道です。今回は本題では無く、ちょっとした仏教史の振り返りにとどめます。

 今日では、仏伝や歴史の研究からは、お釈迦様は縁起の法を悟り、この四諦八正道の教えを説いたとされています。「今日では」とただし書きを入れたのは、少なくとも日本でそのように考えられ、また、この教えが重要視されだしたのは明治以降の我が国の仏教史から見るとごく最近の事だからです。

 四諦八正道は大変素晴らしい教えで学ぶべきものですが、日本で長年軽視されて来たのには理由があります。現在の日本仏教の主たる宗派の大半は比叡山の天台宗をその母体としています。その天台宗は隋に確立した宗派でしたが、漢訳された仏典の内容に一貫性が無いことに疑問を感じ天台宗の実質的な開祖である智顗により、種々の仏典がいかなる順番で説かれたのかを整理する作業が行われました。結果、四諦八正道を含む初期仏教に近い諸経典は、はじめにお釈迦様が悟った内容を人々に説いたところ難解すぎて理解されなかった為に、レベルを落とした教えとして説いたものだとされました。比叡山に学んだ僧が打ち立てた各宗派でも、初期仏教に近い諸経典が低レベルの教えだとの考え方は半ば常識とされていたのです。天台宗を母体としない真言宗系は密教をその他の仏教である顕教より上位と考えていますので言わずもがなです。より古い時代の南都六宗でも基本的には初期仏教を改革する形で生まれてきた大乗仏教でした。
 
 初期の大乗仏教の経典に般若経がありますが、日本でも有名な般若心経の中に「無苦集滅道」という文言が出てきます。この苦集滅道こそが四諦八正道の四諦なのです。つまり大乗仏教は既存の仏教の構造を否定して生まれてきたとも言えます。なぜ否定したのかは、また般若経の解説をする時にお話しますが、こうした背景もあり大乗仏教が主流の国である日本では四諦八正道は軽視され、代わりに先日からお話していた六波羅蜜の修行が重要視されていました。

 この事の良し悪しはおいておくにしても、日本仏教の文化はおおむね四諦八正道とは縁遠いところで発達してきていたのですが、明治期以降に入ってきた西洋の仏教研究の知見は、四諦八正道などが書いてある上座部仏教の仏典を正とし大乗仏教を邪とするようなものでしたので、廃仏毀釈の混乱や西洋の学問を学んだ影響を受け、急にこれらをありがたがるようになった経緯があります。まあその後、百年以上も続けば新たな伝統とも言えますが、いささか接ぎ木をしたような感も否めません。

 本題は長い話になりますので、後日少しずつ解説できればと思います。

 それではまた、合掌。

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