中道
今回は中道の話です。極端な事は避けましょうという意味で仏教の基本の一つです。
お釈迦様は出家するまで王子であり悩みながらも快楽にかたよった生活をし、出家後は凄まじい苦行を行いました。どちらの極端もさけて瞑想をしたことによって悟りを開けたのです。琴の弦は張りすぎても緩めすぎても良い音が鳴らないというたとえで極端をさけるように諭した話は有名です。
仏教では少欲知足といって、欲を少なくして満足する事を知る、という姿勢が重要視されますが、欲を滅ぼし尽くす無欲では無いことが重要です。滅すべき煩悩の一つに貪り(貪欲)がありますが、過剰な欲望が問題なのであって、必要な範囲での欲求は煩悩ではありません。長期間の絶食や不眠など命に関わる苦行のようなことは推奨されません。
お釈迦様が生きていた頃に、王様達がこの世で一番の楽しみは何かについて、美しいもの、音楽、良い香り、美味しい料理、触り心地の良いものをあげて言い合いをしましたが結論が出ず、お釈迦様に答えを聞きに行ったというお話が伝わっています。その時の答えが王たちがあげたどれでも無く「適度の欲」でした。
人は油断すると頑張りすぎたり怠けすぎたりするものです。自分がいま何をしているのかに注意を怠らないようにしましょう。
それではまた、合掌。
お釈迦様は出家するまで王子であり悩みながらも快楽にかたよった生活をし、出家後は凄まじい苦行を行いました。どちらの極端もさけて瞑想をしたことによって悟りを開けたのです。琴の弦は張りすぎても緩めすぎても良い音が鳴らないというたとえで極端をさけるように諭した話は有名です。
仏教では少欲知足といって、欲を少なくして満足する事を知る、という姿勢が重要視されますが、欲を滅ぼし尽くす無欲では無いことが重要です。滅すべき煩悩の一つに貪り(貪欲)がありますが、過剰な欲望が問題なのであって、必要な範囲での欲求は煩悩ではありません。長期間の絶食や不眠など命に関わる苦行のようなことは推奨されません。
お釈迦様が生きていた頃に、王様達がこの世で一番の楽しみは何かについて、美しいもの、音楽、良い香り、美味しい料理、触り心地の良いものをあげて言い合いをしましたが結論が出ず、お釈迦様に答えを聞きに行ったというお話が伝わっています。その時の答えが王たちがあげたどれでも無く「適度の欲」でした。
人は油断すると頑張りすぎたり怠けすぎたりするものです。自分がいま何をしているのかに注意を怠らないようにしましょう。
それではまた、合掌。
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