ビハーラ医療に活かす六波羅蜜、その4

 ビハーラ医療に活かす六波羅蜜、その4です。前回までの布施、持戒、忍辱、精進に続き禅定です。禅定を簡単に言うと煩悩を滅して精神を集中される事です。お釈迦様が悟りを開いたのも禅定によってでした。それを目指そうと言うのですから大変そうですね。

 ところで私は今、ビハーラ医療に活かす六波羅蜜として禅定を解説していますが、そもそも禅定をするにあたり、なにかに役立てようなどと考える事自体がよろしくありません。煩悩を滅しようとしているのだからそういう下心があっては出来ないのです。じゃあ、禅定は医療には役に立たないのかと言うとそんな事は無く、役立てようとして役立つものでは無いですが、結果として役に立ちます。説明していきましょう。

 禅定とは一般的に皆様がご存知の座禅の様にじっと座って精神を集中するものなのですが、突き詰めれば日常生活の行住坐臥の全てが禅の修行となるのです。余計な事を考えずに仕事に集中する状態が禅定の修行の結果自然に出てくるようになります。これは集中しよう気負うと出来なくなってしまいます。まずは、1日のうちでいくらかでも時間をとって禅定の修行をしてみるのが良いでしょう。やってみると分かると思いますが、始めのうちはわずか10秒でも余計な事を考えずに精神を集中するのは難しい事です。

 では、具体的にはどうすれば良いのでしょうか?伝統的には禅定の深さは八つに分類されています。出家した人の為の禅定の技術や思想は大変むずかしいものがあります。これは追々解説するとして、今回は日本仏教の主な宗派での禅定の方法の違いを簡単に説明します。実践にあたっては、ご自分の宗派の修行方法をとられるのがよいと思います。下記の説明より所属のお寺にたずねられた方が正確なので、ぜひご検討ください

 まずは臨済宗や黄檗宗や曹洞宗などのいわゆる禅宗(まとめられると怒る人もいるのでご注意を)ですが、基本的には見性成仏といって、自分の中の仏に目覚めるとでも言えばよいでしょうか、精神を集中し雑念を払い無心になることで得られる境地です。姿勢をただし呼吸やその回数に集中するのが有名な方法の一つです。椅子でも出来ますので休憩時間にちょこっと禅ということも出来て便利です。

 一方で、真言宗のそれは、さまざまなイメージを展開させて世界そのものである大日如来との合一を目指した即身成仏、つまり生きたまま仏になることを目指しています。方法論としては真逆ですが、精神の集中は同様に図れます。スポーツで言うところのゾーンに入った感じです。修行方法としては、まず仏様をイメージして仏様が自分の体に入り、さらに自分が仏様の体に入る事をイメージするなど様々な方法があります。

 浄土教系の宗派や日蓮宗などの座禅をしない宗派はどうでしょうか?これはお念仏やお題目をひたすら唱える行為で、雑念を払い精神を集中している事になります。

 天台宗は止観といって禅定に加えて正念(マインドフルネス瞑想)を重視しています。念の為ですが他の宗派が正念を軽視しているわけではありませんよ。正念は自分の心を冷静に観察する智慧の様な物です。いろんな煩悩や雑念に心を乱されること無く観察すると執着が徐々に弱まってくるのです。お釈迦様が初めての説法で説かれた八正道ではこの正念は禅定へ連続した項目として説かれています。

 色々な方法がありますが、まずは気楽にお試しあれ。

 それではまた、合掌。
 

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