怨親平等

 怨親平等という言葉があります。過去現在因果経と言う経に怨親悉平等とあるのが由来とされており、要は自分を怨みに思う人も、自分を親しく思う人も、平等に慈悲の心をもつべきであると言う意味です。

 日本では武士が活躍した時代にこの精神に基づき敵も味方も分け隔てなく、戦死者を供養するのはよくあることでした。

 あなたは、自分を怨みに思う人に慈悲の心を持てるでしょうか?かりに持てたとしてもその慈悲の心は自分に親しくしてくれる人と同等でしょうか?

 たとえば教職にある人が、自分を嫌っている生徒と自分を好きな生徒を担当していたとして、それが学校の評価に影響を及ぼすようなことはあってはいけません。嫌っている生徒の評価を不当に低くし、好きな生徒の評価を過剰にする。どちらもいけない事です。

 医療従事者でも同じです。日頃からスタッフに暴言をはき暴れる患者様と、いつも穏やかで挨拶やお礼を言ってくれる患者様がいたとして、それを理由に不当な差別をしてはいけません。慈悲の心が肝要です。

 分かっていても無意識にそういう差別は起こりえます。だから怨親平等という言葉として意識に刻み、過ちを少なくするのに役立てましょう。

 それではまた、合掌。

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