狂雲集より
食縁食籍聊茶湯
竹縛菊籬梅補墻
人間世諦尽餓死
地獄遠離安樂長
食籍
一休宗純禅師の漢詩集である「狂雲集」から食籍です。書き下し文は以下の通りです。
食縁、食籍、聊か茶湯、竹は菊籬を縛り、梅は墻を補う。
人間の世諦、尽く餓死、地獄遠離して、安楽長し。
現代語(柳田聖山訳 中公クラシックス「狂雲集」)では以下のようになっています。
食いつないで、どうにか生きていく、食いぶちと、多少の茶と薬は(すべて身辺に与えられていて)、竹垣にまといつく菊や、築地の代わりをする梅でまかなわれる。俗世の論理というものは、共食いによる餓死にゆきつくが、(自分の食いぶちに気付けば)地獄を免れて、いつまでも安楽でいられる。
一休が生きていた時代、努力しても餓死を免れ得ない人も多かったかとも思いますが、分け合えば助かった命が、奪い合いにより消えていった例の方が多かったのかも知れません。
現代でも、奪い合いの結果おきる悲劇はあとをたたず、なんとも悲しい事です。少しづつでも変えていきたいですね。
それではまた、合掌。
竹縛菊籬梅補墻
人間世諦尽餓死
地獄遠離安樂長
食籍
一休宗純禅師の漢詩集である「狂雲集」から食籍です。書き下し文は以下の通りです。
食縁、食籍、聊か茶湯、竹は菊籬を縛り、梅は墻を補う。
人間の世諦、尽く餓死、地獄遠離して、安楽長し。
現代語(柳田聖山訳 中公クラシックス「狂雲集」)では以下のようになっています。
食いつないで、どうにか生きていく、食いぶちと、多少の茶と薬は(すべて身辺に与えられていて)、竹垣にまといつく菊や、築地の代わりをする梅でまかなわれる。俗世の論理というものは、共食いによる餓死にゆきつくが、(自分の食いぶちに気付けば)地獄を免れて、いつまでも安楽でいられる。
一休が生きていた時代、努力しても餓死を免れ得ない人も多かったかとも思いますが、分け合えば助かった命が、奪い合いにより消えていった例の方が多かったのかも知れません。
現代でも、奪い合いの結果おきる悲劇はあとをたたず、なんとも悲しい事です。少しづつでも変えていきたいですね。
それではまた、合掌。
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