「100日後に死ぬワニ」を仏教的視点から読んでみた。

 今回は巷で話題のWeb連載マンガ「100日後に死ぬワニ」の話です。

 この漫画をご存じの方も多いかと思いますが、簡単に説明しておきます。話自体は擬人化されたワニの日常を描く四コマ漫画なのですが、このワニくんは連載開始から100日後に死ぬことが決まっているのです。当のワニくんはそれを知らずに日常生活が続いていきます。読者にはそれが分かっており毎日投稿される漫画のタイトルは何日目であり各回の漫画の最後に死まであと何日か書かれてあります。漫画は作者のきくちゆうき氏のTwitterに毎日更新されておりこれを書いている時点では残りあと4日です。興味のある方は次のURLから原作を御覧ください。https://twitter.com/yuukikikuchi

 仏教は生老病死に向き合う教えですが、私たちが日々生きる中で死に想いがめぐることはそんなに多くないのが現状です。作中のワニくんもまだ若いので、死をあまり身近に感じてはいないように見えます。実際には若くても死んでしまう事は普通にあり、世の無常を感じます。

 源信の観心略要集に、世の人の愚かな事には寿命の長短が定まらぬ中で永遠の命を望みこだわる、と説かれています。(原文:世人之愚也。於老少不定之境成千秋万歳之執。)この文中の老少不定は四字熟語としても使われていますね。人間いつ死ぬか分からない、老少不定で有ることを知れば、より時間や人を大切に出来るようになります。時間を浪費したり無題に人と争っていられるほど人の命は長くないのです。

 さて、このワニくんの生き方はどうでしょうか?彼は、色んな事で悩んだり楽しんだりしながら充実した日々を送っているようみえます。それ故に、読者しか知りえないもうすぐ死んでしまうという事実はより悲しく感じられるのです。では、もしこのワニくんが毎日毎日なにもせず朝起きてボーッとして準備されたご飯を食べて寝るだけの生活を送っていたとしたらどうでしょうか?本人(本ワニ?)は気にしなくても、その死が近いことを知っている読者は悲しくなるよりも、何か焦りにも近い気分になる人も多いかもしれません。

 ダンマパダ(法句経)八章百十二に次の句があります「怠りなまけて、気力もなく百年生きるよりは、堅固につとめ励んで一日生きるほうがすぐれている。」(中村元訳 ブッダの真理のことば感興のことば。岩波文庫)。この句の場合のつとめ励むのは仏道のことではありますが、怠けて続けていると本当に時間はあっという間に過ぎて何も出来ないままに死んでしまいます。

 さて例え話で出した、毎日毎日なにもせず朝起きてボーッとして準備されたご飯を食べて寝るだけの生活、ですが何か思い出す事は無いでしょうか?自分らが受け持つ患者様がこんな状況に陥らないように、スタッフは気をつけていきたいですね。環境が悪ければつとめ励むのも難しくなりがちです。特に体を病んで弱っている人ならなおさらです。人生のその最後まで、充実していたと患者様が言えるように医療福祉の従事者である私達もつとめ励んでまいりましょう。

 「100日後に死ぬワニ」がどの様な結末を迎えるのかまだ分かりませんが、色々と考えさせられる物語です。

 それではまた、合掌。
 

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