ビハーラ的視点でみる仏教
仏教の発祥やその歴史等は既に多くの書物で紹介されていますので、詳しくは譲りますが、ここではビハーラ的な観点から簡単にそもそも仏教とは何かについてお話したいと思います。
仏教はお釈迦様が生老病死の四つの苦しみを克服しようとして、修行した結果、悟った真理を人々に説いたものです。仏教はそのはじめから死と向かい合う宗教なのです。 仏教は死を含むこの世の苦しみから解放されるための手段を説いた教えとも言えるでしょう。
一方で、お釈迦様がお亡くなりなった後、仏教は実に多くの宗派に分裂していきました。現代に伝わる各宗派に大きな違いがあるのは、仏教が時代や地域に応じて少しずつ変化して来た結果です。しかし、現在に伝わる仏教も死などの苦しみに対して解決手段を提示している事は変わっていません。
もちろん、ただそれだけでは他の宗教と区別がつきません。どこに仏教の定義はあるのでしょうか?西遊記の三蔵法師のモデルとなった玄奘の弟子である普光によると三法印に順ずるものが仏教であるとしています。この場合の三法印とは諸行無常、諸法無我、涅槃寂静の三つです。一つずつ説明してまいります。
まず、諸行無常です。これは全ての物事は移ろいゆくと言う真理です。健康だった人が老い病み死んでいくのも諸行無常の現れだと言えます。人はこれに逆らおうとしますが永遠の命を保つ事は出来ません。死にゆく本人や家族や友人にとってとても悲しい事ですが、まず諸行無常を事実として捉える事で、残された時間を有意義に使う心の余裕を作ることが出来るかも知れません。
次に、諸法無我です。これは全ての物事は関係性の中に成り立っており他とは無関係な自分と言うものは存在しないと言う真理です。今、自分だと思っているものは家族や仲間たちや誰かが作った本や映画、今を生きている人や既に先立った人、いろんな人々や環境の影響の上に成り立っています。同時にこのかりそめの「私」も他の人達に影響を与えています。様々な存在は単独ではなく関係性の中にのみ存在しているのです。だから誰かの死はその人の全ての終わりではなく、その影響は残る人たちにつながっているのです。願わくば世界に良い影響がつながっていく様にしたいものです。
最後は涅槃寂静です。諸行無常で諸法無我であるこの世を正しく見ずに、自分が自分がと貪り、思い通りにならないと怒り狂う、こういった煩悩こそが苦しみを生み出す原因なのです。涅槃寂静とはこうした煩悩を滅ぼした涅槃と呼ばれる状態は真の安らぎであると言う真理です。いかなる仏教宗派でも、その目的は煩悩を滅して涅槃に至る事なのです。煩悩を滅し尽くすのは大変むずかしい事ですが、こうした真理を知って状況を落ち着いて観察し行動することで煩悩を少しずつ消していけます。悟りを開けなくてもこうした考え方は患者様やご家族様の苦しみを軽減出来ることでしょう。
まだまだ仏教の基本の話はありますが、それはまた追々していきたいと思います。
それではまた、合掌。
仏教はお釈迦様が生老病死の四つの苦しみを克服しようとして、修行した結果、悟った真理を人々に説いたものです。仏教はそのはじめから死と向かい合う宗教なのです。 仏教は死を含むこの世の苦しみから解放されるための手段を説いた教えとも言えるでしょう。
一方で、お釈迦様がお亡くなりなった後、仏教は実に多くの宗派に分裂していきました。現代に伝わる各宗派に大きな違いがあるのは、仏教が時代や地域に応じて少しずつ変化して来た結果です。しかし、現在に伝わる仏教も死などの苦しみに対して解決手段を提示している事は変わっていません。
もちろん、ただそれだけでは他の宗教と区別がつきません。どこに仏教の定義はあるのでしょうか?西遊記の三蔵法師のモデルとなった玄奘の弟子である普光によると三法印に順ずるものが仏教であるとしています。この場合の三法印とは諸行無常、諸法無我、涅槃寂静の三つです。一つずつ説明してまいります。
まず、諸行無常です。これは全ての物事は移ろいゆくと言う真理です。健康だった人が老い病み死んでいくのも諸行無常の現れだと言えます。人はこれに逆らおうとしますが永遠の命を保つ事は出来ません。死にゆく本人や家族や友人にとってとても悲しい事ですが、まず諸行無常を事実として捉える事で、残された時間を有意義に使う心の余裕を作ることが出来るかも知れません。
次に、諸法無我です。これは全ての物事は関係性の中に成り立っており他とは無関係な自分と言うものは存在しないと言う真理です。今、自分だと思っているものは家族や仲間たちや誰かが作った本や映画、今を生きている人や既に先立った人、いろんな人々や環境の影響の上に成り立っています。同時にこのかりそめの「私」も他の人達に影響を与えています。様々な存在は単独ではなく関係性の中にのみ存在しているのです。だから誰かの死はその人の全ての終わりではなく、その影響は残る人たちにつながっているのです。願わくば世界に良い影響がつながっていく様にしたいものです。
最後は涅槃寂静です。諸行無常で諸法無我であるこの世を正しく見ずに、自分が自分がと貪り、思い通りにならないと怒り狂う、こういった煩悩こそが苦しみを生み出す原因なのです。涅槃寂静とはこうした煩悩を滅ぼした涅槃と呼ばれる状態は真の安らぎであると言う真理です。いかなる仏教宗派でも、その目的は煩悩を滅して涅槃に至る事なのです。煩悩を滅し尽くすのは大変むずかしい事ですが、こうした真理を知って状況を落ち着いて観察し行動することで煩悩を少しずつ消していけます。悟りを開けなくてもこうした考え方は患者様やご家族様の苦しみを軽減出来ることでしょう。
まだまだ仏教の基本の話はありますが、それはまた追々していきたいと思います。
それではまた、合掌。
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