コラボラトゥールを狩る気持ち

 第二次世界大戦末期、連合国によりフランスが解放されるとナチス・ドイツ占領下のフランスでドイツ側に協力した人たち「コラボラトゥール」に対する暴行や殺害などのリンチが横行した。ドイツ人の愛人だったとされる女性が丸坊主に髪を刈られ晒し者にされている有名な写真を見たことがある人も多いだろう。しかし、ドイツの占領下のフランスで全くナチスに協力しなかったフランス人が如何ほどいたのかは甚だ疑問だ。フランスのワイン業界もナチスから利益を得ておきながら、あたかも抵抗したような伝説を吹聴するなど自分らの身を守るのに必死だった。

 どんな悪逆な政権に支配されようとも、そこの住民の生活や経済活動が終わる訳ではないのだから、何かしら政権との経済的な交流が発生するのはやむを得ない話だ。コラボラトゥールを狩るフランス市民の多くも幾ばくかコラボラトゥールであったに違いない。だが、より確実にコラボラトゥールである人間を叩いておかないと自分の身も危うい状況だ。叩く側にいる時は少なくとも安全だから、暴力は加速していく。

 もちろん、祖国フランスを奪い、自分たちの命を危険にさらし、民族の誇りを傷つけたナチスに対して報復したいと思うのは、善し悪しは別として自然な感情ではある。積極的にナチスに協力しレジスタンスの殺害に加担した者などは、ナチスが敗れた以上は処罰を免れ得ないだろう。だが、それは裁判によるべきであり、間違いなくクロであっても、私刑により処断されてはいけない。

 なぜ、今コラボラトゥールの話をしているのかと言うと新型コロナウイルス感染症に関する陰謀論の事だ。コロナの流行は、まだ終息したとは言えないが、ワクチンや治療薬の開発もあり、いずれはコントロール可能になる目処も立ってきた。少なからぬ犠牲が出たが人類の勝ちはもはや確実と言って良いだろう。この終戦後、ウイルスやワクチンに関する非科学的なデマを吹聴した人達は恐らく大衆の私刑の標的となる。騙されて死んた患者の遺族らの気持ちを考えると、私刑を容認したくもなるが、やはり言論による抗議に留めるべきだろう。

 また、今後も同じことが無いように法的な整備も必要だ。例えば町中で毒ガスを噴霧すればテロであり殺人であり刑事罰の対象だが、一定の割合で信じる人が発生する致死的なミームをネットや言論空間にばらまいても刑事罰の対象にはならない。言論の自由は大切だが、民族憎悪を煽ればヘイトスピーチとなり、個人攻撃も名誉毀損となって処罰の対象になるのだから、程度と言うものはある。明らかに誤った信じると危険な情報の発信・拡散は規制されてしかるべきだろう。言論の自由原理主義者からは反対されると思うが、法的に取り決めておいた方が私刑への抑制にもなる。政治家各位には検討を願いたい。

 まあ、もっともその政治家連中にも陰謀論信者が多いのでアレだが。

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