心配しているフリをした攻撃

 大阪大学の忽那賢志教授が文藝春秋10月号で、巷にあふれる反ワクチン本を糾弾する記事を書いた。それを受けてネット上では、怖い反ワクチン勢に文句を言うなんて忽那先生の身辺が心配だという風なご憂慮のお気持ちを表明する人も見かけられた。

 まあ、詐欺師の本体は流石になにもしないかと思うが、確かに洗脳された陰謀論信者は教祖に文句をつけられたと過激な行動に出ないという保証も無い。しかしながら、それをあえて多くの人に言って回るのは反ワクチン勢力に意見をすれば暴力的な制裁がまっているぞという脅しにもとれる。

 暴力団を脅しに使うのと同じ理屈だ。暴力団と利益をともにする人が、自分に逆らうと暴力団から目をつけられるぞと吹聴し、一般人に恐怖心を喚起させ彼らが自分たちに不都合な発言や行動をとらぬように抑えこもうとするのだ。

 実際に忽那先生をの身辺を心配した人が、果たしてこうした脅しをしたつもりだったのか、あるいは本当に心配しただけだったのかは分からないが、仮に反ワクチン派が暴力団並みに恐ろしい存在でも、黙るべきは反ワクチン派であり、怖いから正論は言わないでおこうよと勧めることは社会にとって有害だ。

 余談だが忽那先生は藤原家の流れをくむ忽那水軍の末裔だと聞く、そんな武士に卑劣な脅しは通用しないだろう。

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