柱
柱は日本において神を数える助数詞として使われます。記紀神話ではオノゴロ島を国の柱として沢山の神々を生んだとされ、柱は神聖視されていたと言えます。伊勢神宮の正殿には柱そのものが神聖なものとみなされている心御柱があり、柱の上に三種の神器の一つ八咫鏡が収められています。また出雲大社の心御柱が由来となったかは定かではないですが、家の中心の柱や一家の中心人物を指して大黒柱と呼ばれる様に、柱を重要視する習慣が日本には根付いていると言えます。諏訪大社の御柱祭もその目的は御柱を神木として立てることにあるのでやはり柱は神聖視されていると言って良いでしょう。
仏教でも善光寺御開帳の時の回向柱は、前立本尊の指と糸で繋がれており、この柱に触れることで善光寺の前立本尊に触ったのと同じ御利益があるとされています。仏教関係の柱は日本以外にもインドのアショーカ王が仏教にまつわる沢山の柱を立てていますが、記念碑的な意味合いが強く、日本の様に柱自体を特に神聖なものとしていたかは明らかではありません。日蓮著の「開目抄」の中の三大誓願では自身が日本の柱、眼目、大船になることを誓っており、柱が一番最初にあげられています。この誓願は法華経を広げるにあたって立てられたもので柱を立てるのは物事を始めるというニュアンスが含まれているかも知れません。日本では現代でも建物を造り始める時に立柱式を行うことがありますが、呪術的な意味で柱を立てる儀式は縄文や弥生時代にまで遡るといいます。何らかの祈りの焦点や共同体の中心として柱を立てていたようです。日本人が柱と言うときは単に物を支える棒状の素材ではなく何かしら精神的な意味をもたせている場合が多いのです。
最近、流行った某漫画でも組織のリーダー格の剣士が柱と呼ばれていましたが、こうした文化の影響でしょう。建築物や一家から大黒柱が消えても、日本語のニュアンスは後世に伝わっているようで、ちょっとうれしくあります。
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