母の日とジェンダーとミーム

 今日は母の日です。アメリカの母の日が日本にも導入されて祝われているものです。5月第2日曜日の母の日は日米の他にも多くの国で祝われますが、中東では春分の日に母の日が祝われることも多く、他にも各国様々な日付の母の日があります。日本も昭和初期は地久節と言って皇后誕生日を母の日としたことがありました。天皇誕生日が天長節と呼ばれていたので天長地久をセットとしたアイデアだったのでしょうが一般には普及しませんでした。

 母の日は世界様々ですが根底には母親の愛情への感謝があります。仏典でも母の子への愛情を仏の衆生への慈悲にたとえる表現がしばしばみられます。これをジェンダー的に問題視する向きもありますが、例え話として有史以来の人類の共通認識である母の愛は理解しやすいものです。しかしながら、仏典に説かれるような母の子への強い愛情を、そういうジェンダーに洗脳され役割を強要された結果だとする昨今の風潮は果たして今後も続いていくのかは気がかりです。それを見届けるには私の命は短いのも残念です。

 こうしたジェンダー論を唱える人が主張するのは、母親としての愛情を持った女性が子を教育する時にジェンダー的洗脳を行い母と言う名のいびつな奴隷が再生産されるというものです。確かに、長い歴史の中で親からの子への考え方や心の伝承が行われ続けたという事実はあります。問題は、その伝承された母親像を憎むべきイデオロギーととらえるか、ありがたい愛情ととらえるかの違いです。同じ事でも視点によって感じ方は変わるものです。また、長い歴史の中で広範にその存在が指摘されている母性が生物的な性質でなく思想の類であったとしても、長きに渡り人類の生存に適した思想であった訳です。歴史的に母親の愛情なんてあるべきでないという思想も存在し続けたけど極めて少数派にとどまり続けたのは、その思想は母子間の伝達力が弱く、他の人へ口頭や文章で水平的に伝わるか突然変異的に出現するしかなかったからだと思われます。

 さて現代は人類の歴史上もっとも水平方向への情報伝達能力が高まっている時代です。母性を否定する思想にとってはいまだかつて無い拡散と増殖のチャンスとなっています。ただ、この思想の持ち主はその考え方の特徴からして、そうでない人より子を作らないと思われるので思想(ミーム)の運び手としての人間の再生産力には劣ります。彼らの水平方向の思想拡散を受けつけにくい(彼らが言うところの)奴隷的思想の持ち主の再生産力の方が強いので、人口比率的に逆転されることは無く、結果として末永く母の日は消滅せずに済むと思います。

 小生の母は小生が幼い頃に死去しておりよく覚えていませんが、親族からの伝聞によるとたいそう小生を可愛がってくれていたそうです。本日は母への感謝の念をもって墓参りしようかと思っています。

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