新年あけましておめでとうございます。 リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ 1月 01, 2021 新年あけましておめでとうございます。令和三年の元旦を迎える事が出来ました。 今年もコロナ禍は続いており、初詣の行かれる人も少ないかと思いますが、各寺院では元旦の法要が行われていることでしょう。離れていても祈る心は広く人々とともにあります。 難局にあっても心静かに祈りを捧げましょう。心の平静を保つことは仏教の基本でもあります。皆様の心が安穏でありますように。南無三宝。 リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ コメント
桃花より青松を好む 3月 03, 2022 聖徳太子が三歳の時の逸話です。三月三日に桃の花を愛でながら、聖徳太子の父君である用明天皇が御子に「桃と松のどちらを好むか?」とお尋ねになりました。太子は「桃は一旦のさかえ、松は千年のかがやき」とお答えになり松を選ばれたと言われます。 このお話の桃の花はこの世の諸行無常を、色が変わらぬ常緑樹の松は悟りである真如を象徴しています。 三月三日は現代ではひな祭りですが、古代の日本では女児のためのお祭ではなく、厄祓いの日でした。桃は伊邪那岐尊が黄泉の国から脱出する際にも魔除けの役割を果たしており、この日にピッタリの花と言えるでしょう。そんな日にわざわざ松の方を好むという三歳児は只者ではありません。 和国の教主として人々の幸せを願われた聖徳太子は救世観音菩薩の化身であったとも言われます。何かと悲しいことが多い世の中ですが、聖徳太子以来受け継がれてきた教えを守り和を尊ぶ世界の実現を目指したいものです。 続きを読む
浄土真宗本願寺派の不祥事 9月 18, 2022 このところ浄土真宗本願寺派の不祥事が目立つ。全国の幼稚園の団体での本願寺派住職よる6億円以上の巨額横領事件、本願寺派と懇意にしている芸能人やアナウンサーなどによるロシアの侵略擁護発言、直近では本願寺派の若手僧侶の動画が炎上した。 動画に関しては真宗の教義に照らしてもその発言内容はいかがなものかと思い質問したのだが、本人がそういう意図ではなかったと言っており、本願寺派の僧侶や門信徒もあまり問題視していない。現在は動画内のふざけた行為(本人はその意図はないと釈明)が主に他宗派から糾弾されている形だ。この炎上の一因として考えられるのは、本人は後で反省したような事を言っているが、当初の批判にはかなり挑戦的攻撃的に反論していたのも火に油を注ぐ形となったように見受けられる。 また、不祥事ではないが、教義面においても2018年に発表された自力の行を認めるかのような門首のお言葉にも動揺が広がった。この教義解釈の変更は他宗派への歩み寄りのようにも見えるが、軸がぶれている感は否めない。若手僧侶に影響がなかったと言えば嘘になるだろう。 では本願寺派はどうしようもないダメ宗派かというと一概にそうとも言えない。少なくとも浄土真宗も浄土教の基本的なフォーマットは保っており、他宗派の一部の人から言われる浄土真宗は仏教にあらずとの批判は正しくないと考える。むしろ浄土を絶対視し、それ以外のこの世を徹底的に穢らわしいと見る発想は、一切皆苦、諸行無常、諸法無我、涅槃寂静、を他宗派よりも強く念じているようにすらみえる。戒律が存在しないのも叩かれる材料ではあるが、御恩報謝の思いで仏を念じていけば、自ら意図せずに戒を守るように成長する。常に強く仏を念じながら人を殺したり嘘をついたり物を盗もうとする人はいないし、心も穏やかになろう。問題はそれを実践できている僧侶や門徒が少ない事だが、理念的には浄土真宗本願寺派は仏教の一宗派としていいだろう。伝統ある宗派だけにその良さが活かせてないのは残念だ。 本願寺派の僧侶にも色んな人がおり、もちろんいい人が多いのだが、顔見知りなだけでも結構な変わり者(失礼)も散見される。過去には本願寺派系の病院で他宗派の患者を精神的に追い込んで本願寺派に改宗される僧侶がいたがあれは本当にダメだ(今もやっているのかは知らないけど)。西本願寺の本体が所属僧侶の個人的信条に介入することは... 続きを読む
五時八教の教相判釈 6月 26, 2020 五時八教の教相判釈とは天台宗に伝わる仏典の分類です。現実にはお釈迦様がお亡くなりになってから大量に作られた多様な諸経典も、当時は全てお釈迦様が説いたとものと考えられていたので、それぞれの経典の内容の矛盾をどうにかして解消するために、経典の分類とその時系列的なつながりの物語を作り上げたのです。 こうした分類は歴史学的に間違っているが故に昨今では批判や軽視される事もありますが、全ての人を救おうという大乗仏教の理念や、天台宗より生まれた数多くの鎌倉仏教などへ与えた影響などを考えると、歴史学は一旦おいておいて見るべきものがあります。本日は天台宗教学の入門書とも言うべき天台四教儀から五時八教の教相判釈を解説していきます。 五時八教のうち時系列の分類が五時の分類で、お経を内容や対象について分類したのが八教の分類です。八教の分類はお釈迦様の説法の仕方で分類した化儀の四教と、教説の作用で分類した化法の四教とに分かれます。これらは相互に関係しあっていますがまずは五時の分類から説明します。 まず五時の第一は華厳の時です。お釈迦様が悟りを開いたそのままの内容を説いた時期で、その内容をまとめたお経が華厳経だとしています。華厳経に「初発心時便成正覚 所有慧身不由他悟 清浄妙法身 湛然応一切」とあります。その意味は、「最初に悟りを目指そうとする心を起こした時に悟りは達成される、仏にそなわる智慧は他人の助けによっては起きない、清らかな仏の身はこの世の全てのものにあふれて応じてくれる」となります。大乗仏教の如来蔵思想に通じる考え方です。 お釈迦様の悟りは大乗仏教のそれであったと主張していることとなります。 また、華厳経は奈良の大仏で有名な盧遮那仏を中心として説かれています。盧遮那仏は密教で言う大日如来のことでこの世の全てを包含する仏様です。さて、そんな華厳経ですが、お釈迦様が盧遮那仏としての荘厳なお姿でこのお経の内容をそのまま説いた所、誰も理解してくれなかったとされます。 五時の第二は鹿苑時です。高等な話を理解してもらえなかったお釈迦様は、一介の修行者の格好にもどって、かつての修行仲間がいる鹿苑を訪れ、誰にでもわかる内容の説法をされたとしています。この時に説かれたのが阿含経と言われる歴史学的には最古の仏典群です。ここでの教えは、以前紹介した四諦八正道、十二因縁、六度などです。すなわち、物... 続きを読む
コメント
コメントを投稿