六方礼経
初期仏教の在家の道徳を説いたものに六方礼経というものがあります。父親の遺言で意味も分からずに東西南北と天地の六方向に礼拝している青年に、お釈迦様がその真意を説いたとされる経典です。今日はその話をしてみます。
当時の世間での六方礼拝は外から災いが訪れるのを防ぎ幸せを祈るために行われていたものだったようですが、お釈迦様はこの礼拝を外からの災いではなく内からわいてくる災いを防ぎ止めるものであると説いています。
六方を礼拝するための準備としてまず、四つの悪い行為である殺し、盗み、不貞、偽りを捨てさり、四つの悪い心である貪りと、怒りと、愚かさと、恐れを押し止める必要があるとされます。また、家や財産を傾ける六つの門を閉じるようにとも言っており、その六つとは酒を飲み不真面目になること、夜ふかしして遊び回ること、音楽や芝居に溺れること、賭け事にふけること、悪い人間と交流をもつこと、仕事を怠けることです。
その上で真の六方を礼拝するのですが、東西南北と天地にそれぞれ社会を生きる上での人間関係についてのあるべき姿を当てています。即ち、東に親子関係、南に師弟関係、西に夫婦関係、北に友人関係、地に主従関係、天に教えを説くものとそれに奉仕する者の関係を述べています。これは例えば親子の場合、親は子にどうするべきかと、子は親にどうするべきかが書かれており双方向性の布施の精神のような感じです。こうして全ての人間関係を礼拝して気にかけ、それらが円満なら災い無く生きていけるという考えです。
外からの災いを防ぎ切るのは並大抵のことではありませんが、自分の内から生じる災いは気をつければ大きく減らすことが出来ます。これらの教えは在家がより良く生きるためのもので悟りを目指すものではありませんが、後に大乗仏教の代表的な菩薩行である六波羅蜜の禅定と智慧以外はこの教えと重複しており興味深いところです。
個々の人間関係を礼拝することにより強くその安定を目指すというのは、現代の指差し声出し確認のようでもあります。近すぎて逆に疎かになりがちな人間関係の一つ一つに感謝するのもいいものです。合掌。
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