イスラム国という思想

 一時期に比べて話題に登らなくなっているイスラム国ですが、なかなかしぶといようです。アルジャジーラの報道ではアメリカ陸軍の分析として、内戦の続くリビアを例に上げ政府の力が衰えた国でイスラム国が力を取り戻す可能性を指摘しています。

 この報道で懸念されているような強大な組織が出来なくても、イスラム国によるとされる小規模な襲撃は今でも世界各地で起きています。彼らをほぼ勝ち目のない戦いに導くものは何でしょうか?それは彼らが自分たちの正義を確信している事にあります。

 誤解を恐れずに言えば、イスラムの教えを守るため、その共同体の秩序を守るカリフ制を復活させようとするイスラム国の活動は、イスラム教的には正義以外の何物でもありません。しかし、イスラム国はほとんどのイスラム教徒から支持されていません。国際化が進んだ現代ではイスラム教徒の知人がいる人も少なくないかと思います。私にも多くのイスラム教の友人がいますが、彼らは少なくとも表面的には決してイスラム国を支持していません。この矛盾がどこからくるのかというと教義解釈の相違です。

 イスラム教の聖典クルアーンが無謬の預言者ムハンマドに下された神の真正な言葉であったとしても、それを読み解釈するのは人間なわけで時間が経てば同じ聖典を根拠とした違う考えが生まれてくるのは当然です。イスラム教は長い時間をかけて広範な地域に伝播していき、各地の文化と融合して中にはイスラム教では禁忌なはずの呪術的要素をもつものもありました。それでも昔は地域間の交流が少なかったので大きな問題もありませんでした。しかし情報化が進み、地方色豊かなイスラム教徒が本来正しいとされるイスラム教を容易に知るようになると、自分たちが間違っていたと思い込み新たに過激思想を信じやすくなる素地ができるのです。

 同様な考え方の変遷は他の宗教や思想でも起きることです。時代や地域に適応してきて自分にも染み付いた伝統的な考え方が実は間違っていたと信じた時、大きな価値観の書き換えが可能となるのです。陰謀論を信じる人も同じです。これまで学校教育や報道などを通じて信じていた常識が、ネットで仕入れた真実の(必ずしも真実では無いがそう信じた)情報により否定され、過激な方向に向かいやすくなるのです。学校やマスコミの方が間違っている事例もありますが、確率的にはネットに流布される怪しい情報の方が間違っている場合が大半です。現代社会を生きるにはリテラシーが大切となります。

 イスラム国を組織ではなく思想と考えた場合もこれらの流れが成り立ちます。実際、イスラム国はその中枢が崩壊したあとも世界中で活動が継続されており、その活動が小さくなったとしても高度な情報化社会においては滅び去る事も無いでしょう。各国はそういう前提で対策を講じるべきです。

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